2009年11月

映画にみる経営

2009年11月24日

先日、留学生と一緒に映画を観ました。映画館がある街に住むのは約20年ぶりです。やはり、映画館は最高です。

延岡には延岡シネマという映画館があります。市の中心部に位置し、五ヶ瀬川に面しているなど趣があります。隣は現在、高層マンションを建設中です。このマンションの住人は毎日映画三昧できますね。以前勤めていた岡山県高梁(たかはし)市にも駅前商店街の中に映画館の建物が残っていました。そういえば、学生時代にも大学近くの神田神保町に映画館の建物が残っていました。映画館の建物は何か独特の雰囲気があり「昭和」という時代を感じさせてくれます。延岡には映画館以外にも「昭和」を醸し出す建物が多く、昭和美観地区が形成されています。

さて、映画の話に戻りますが、山本兼一原作、横田与志脚本、田中光敏監督の「火天の城」です。専門が経営学ということもあり、印象に残ったことは、一人の「不器用な大工」の話です。岡部一門の人材育成は適性から判断して人材を育成するのではなく、適性がない不器用な人でも、その人に努力と精進をさせることにより一人前の大工にするのです。

この話は正に少し前までの日本的経営の長所とされていた長期雇用そのものです。もちろん、心ある会社は今でもこの制度を守っています。この考え方の基本にあるものは、この社会に生きる人はすべて社会の宝であり、一人ひとりに使命があるというものです。

そうした視点に立つならば、余剰人員、失業者などという人が存在するのはおかしいのです。社会の責任でこの問題を解決することが求められています。私たちも岡部一門のように仕事を希望するすべての人に仕事を与えることができる社会の構築を目指しましょう。

留学生にもこの映画は印象的だった様です。


記:高橋直也

哲学は教えられるか

2009年11月13日

古代ギリシャのソフィスト(教師)のひとり、プロタゴラスは、人間の徳(能力)には「生活技術における徳」と「ポリス(社会)を形成するための徳」の2種類あると言っている(プラトン『プロタゴラス』より)。

前者の徳はプロメテウスによってもたらされた〈火〉と〈テクネー〉(⇒technique)に由来し、一人の専門家がもっていれば「たくさんの素人のために間に合う」、いわゆる専門技術に関する徳である。それに対して後者の徳、すなわち〈正しさ〉と〈慎み〉(羞恥・畏怖)の徳は、直接ゼウスから与えられ、「ポリスが友愛と秩序において成立する」ために、すべての人間が分かち持たなければならない徳とされる。

古代ギリシアでは、この後者の徳つまり「ポリス的徳」が本来的な徳であり、前者の徳つまり「技術的徳」は派生的な徳にすぎないとされていた。したがって、当時の教育論議の基本的課題は、「ポリス的徳」はそもそも「教えられるのか」、「教えられるとしたらどのような方法があるのか」といったことでなる。

プロタゴラスは、「この徳は......ひとりでに具わるものではなく、教えられることができる」と言う。それに対してソクラテスは、「この徳は教えられない」と主張する。このソクラテスの主張から「哲学(philosophy)」が生まれる。つまり、人間にとって最も大切な徳は「教えられる」のではなく自分で「学ぶ」しかない、という自覚から「哲学」は始まる。

「技術的徳」の獲得を第一の目標とする教育の場で、その「哲学」を「教える」ことには、もともと2重の障壁がある。そのうえ、ソクラテスと違って、学生と対話を続けていくための素材と言語を十分に持ち合わせていないという私自身の無能(不徳)の障壁がある。そこで私は毎年自分に問い続けている――「哲学は教えられるか」と。


栗栖照雄