沖田ダムの森の中から~遠ざかる風景と交響曲『日本の城』~

2017年10月 2日

ほぼ毎日沖田ダムを歩いていると,季節の変化を見逃すこともあります。早春から初夏にかけては若葉が萌え始め,ウグイスを始めとした鳥たちのさえずりが耳目を楽しませてくれます。夏至を過ぎ,立秋を迎えた最近はセミの大合唱で,可愛らしい鳥の鳴き声やあのカラスの声さえもかき消されてしまいそうです。

さて,6月下旬のことですが,福岡にベートーヴェンのピアノ・ソナタを聴きに行きました。「悲愴」・「月光」・「テンペスト」・「ワルトシュタイン」そして「熱情」の5曲を横山幸雄さんの演奏で堪能しました。その夜は娘夫婦の所に一泊し孫の顔を見ての帰り,北九州市の黒崎駅でJR特急を利用した時のことです。乗り物の座席は,後部よりも前方,通路側よりも窓側を好む人間として,自由席の先頭車両に乗車して思わずラッキーと思いました。客席と運転席の仕切りが透明なプラスチック製の壁だったのです。しかも運転席の後ろの席はすべて空席でしたので,当然進行方向に向かって右側の席に座りました。左側は運転士の後ろです。流れゆく風景を飽きることなく眺め,珍しい建物や看板があると振り向いたりしておりました。

ところが乗車後10分ほどしたら,衝撃的な放送が聞こえてきました。「次の小倉駅から進行方向が逆になりますので,お手数ですが座席を回転させてください…」。失望感を覚えながら,座席を回転させようとしましたが,ふと「最後尾で眺める景色はどうなんだろう?」という好奇心が湧きました。幸い車両はガラガラの状態でしたので,遠慮・気兼ねすることなく後ろ向きのまま坐っておりました。電車が動き始め,徐々に加速してゆきます。びっくりしました。前方に坐って眺める風景は,視野の左右の後方に流れてゆきます。後方で眺める風景は,前方に集中してゆくのですね,当然といえば当然なのですが,これが実に新鮮でした。そして,もっと驚き感動したのはトンネルに入ったときです。目の前の風景が段々小さくなって点になり,その点も最後には漆黒の闇に吸い込まれてゆきます。これは,あたかも自分が過去に吸い込まれていくような感覚のように思えました。

これは珍しい体験であって,次回も最後尾の風景を選ぶかというと,5年に1回ぐらいか,たまには乗ってみようかという程度で,次の電車も先頭車両に乗り込むだろうと思います。

 

亡くなった人の名前と年齢,斎場の名称と告別式の時刻そして喪主の名前を記した新聞の葬儀の案内欄に目が行くようになったのは,50代半ば頃からでしょうか。

7月に亡くなった音楽家と言えば,平尾昌晃さんの名前が挙がります。新聞だけでなく,テレビでも大きく取り上げられました。病気という不遇な時があったとは言え,その業績は素晴らしいものがあり,彼によって世に出た人は少なくないような気がします。

nihonnnosiro.jpg

同じ7月に亡くなった音楽家に小川寛興さんがいます。ほとんどの新聞に追悼記事が掲載されています。作曲家,編曲家。「月光仮面」の主題歌,倍賞千恵子さんが歌った「さよならはダンスの後に」の作曲家として紹介されています。読売新聞の『編集手帳』では,NHKの連続テレビ小説『おはなはん』の音楽や中村晃子さんが歌った「虹色の湖」も取り上げています。私が小川寛興さんの名を畏敬のの念を持って意識したのは,高校生の頃です。当時のレコード店では,レコードを買うと『レコードマンスリー』という小冊子をサービスしてくれていました。文字通り,その月に発売されるシングル盤からLPレコードを紹介した冊子です。その中に,小川寛興さんの交響曲『日本の城』の記載があったのです(写真)。

流行歌の作曲家と交響曲。関心を持ったものの購入して聴くだけの経済的な余裕はなく,聴くことはなかったのですが,小川寛興さんの名前は心の中に残り続けておりました。その作品を耳にすることができたのは,CDの登場に伴って,1998年年に「キング秘蔵名盤シリーズ」としてCD化されて再発売されたのがきっかけです。

第1楽章 築城  第2楽章 天守の城  第3楽章 戦いの城  第4楽章 炎の城 第5楽章 不滅の城  という構成で,外山雄三さんの指揮 管弦楽は日本フィルハーモニー交響楽団,合唱をキング混声合唱団 そして和楽合奏として龍笛,雅楽琵琶,薩摩琵琶,尺八,箏,十七弦,小鼓,大鼓,ホラ貝そして胡弓が使用されています。CDの帯には,「海外でも圧倒的評価を獲得した名盤の復刻!!  明治百年記念芸術祭参加」と記されています。亡くなったのをきっかけに久しぶりに聞き直しましたが,作曲されたのが40歳代前半という油の乗り切った時期で,若々しさと意気込みが感じられる作品で,個人的には第3楽章が好みです。追悼記事の中に,交響曲『日本の城』に触れたものがないことを惜しみつつ,小川さん自身が作品をどのように思っていたのか興味を覚えながら,今回は終わります。

臨床福祉学科 長友でした。

<< 前へ>> 次へ