2018年7月

「出会いとは」...沖田ダムの森の中を歩きながら

2018年7月 9日

今回の記録的な豪雨で亡くなられた方々,被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。

 

 さて,これまで編曲者(アレンジャー)として、深町純氏や木田高介氏を取り上げました。今回はビル・シェパード(Bill  Shepherd)氏です。今手元に、1990年に発売された『ビー・ジーズ ゴールデン・ストーリー』というCD4枚組のセットがあります。

 

 

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原題の”Tales from Brothers Gibb A History in Songs 1967-1990”からうかがえるように,ビー・ジーズがデビューしてから,1990年までの作品を集めたものですが,収録曲に対してメンバー(3人兄弟)が短いコメントを記しています。その中の「シンキング・シップス(Sinking Sips)」について,双子の兄弟の弟モーリス(Maurice)が次のように書いています。

 

 ビル・シェパード(‘60年代後半から’70年代前半にかけて,僕らのアレンジャーをしていたオーケストラのマスター)が僕に,「完璧に美しく組み立ててみよう」と言ったことがある。そして,彼はその通りやってのけた。
ル,君のことは僕らは決して忘れないよ。

 

 このコメントが彼とビー・ジーズとの関係を端的に示していると思います。初期のビー・ジーズの音楽は華麗なオーケストラの伴奏を抜きにしてはあり得ません。その編曲を担当していたのがビル・シェパード氏でした。1967年の最初のアルバムから1972年までほとんどの曲を彼が編曲しており,1971年には,メンバーとともに来日して,亀渕昭信氏(深夜放送ファンには懐かしい名前です。)によれば,バックのオーケストラを指揮していたということです(氏のコンサート評,『ミュージック・ライフ』)。

 

 個人的に好きな曲は,「マサチューセッツ」のストリングス,「ホリデイ」のホルンの響き,「ラブ・サムバディ」の木管のオブリガードなどです。
また,アルバムとしては『トラファルガー』が最高傑作だと思います。
インターネットで検索すると,ビルは1988年に亡くなっていますので,上のモーリスのコメントは彼の死を受けてのことだと思われます。

 そして彼らが組んだ最後の作品が『To Whom It May Concern』直訳すれば「関係当事者殿」(証明書などの一般的な宛名に使用される)ですが,レコードでは『ラン・トゥ・ミー/ザ・ビージーズの新しい世界』のタイトルで発売されました。(写真はCDジャケット,最初の来日のステージ)。この作品以降,ビー・ジーズは低迷していくのですが,アレンジャーにジミー・ペイトを起用したりして,最終的には,アリフ・マーディンと出会ったことによって,『サタディ・ナイト・フィーバー』の大ヒットになり,蘇ることになります。

 こう考えると,歌手やグループの盛衰というのは1つの出会いが大きな影響を持つのだと思わざるを得ません。人生も同じではないかと思います。その出会いは家族や親戚の存在や何気ない一言であったり,先生や友人のような人の場合もあるし,音楽や美術などの芸術作品,詩歌や小説などの場合もあるだろうと思います。

 私たちが携わっている教育はそうした出会いをたくさん準備することではないかと思います。そして,子どもたち(正確には園児,小学生,中学生・高校生,そして失礼ながら大学生)は取捨選択していけばよいと思います。ちなみに,宮崎県教育委員会は今年も『「私を変えた先生との出会い」エピソード大募集』という事業を行っています。
子どもたちに出会いを提供するためには,親・教師を初めとする周囲の大人が幅広い知識・教養を身につけることが大切だと思います。

 

 7月14(土)~15(日)はオープン・キャンパスが開かれます。多数の来場をお待ちしております。

8月に3つの同窓会を予定している臨床福祉学科 長友道彦でした。