40年後

2018年10月18日

「いくら二十年と言ったって,鷲鼻が獅子鼻に変わることはない」

 私の大好きなアメリカの短編作家O・ヘンリーの「二十年後」の一部分です。

 

  20年も長い歳月ですが,この夏にその倍の40年ぶりに大学を卒業して初めての同窓会に出席しました。本当に40年ぶりの友人や,短くても35年以上の人もいましたが,昔の面影はやはり残っていました。そもそものきっかけは,大学野球部の先輩から野球部同窓会を開く旨の案内を貰い,それならついでに歴史専攻の同窓会もやろうと思い立ち,結果的に最も遠隔地にいる私が幹事になった次第でした。以前だったら,電話や手紙・葉書で案内や出席の確認とかで面倒だったろうと思いますが,最初だけ私のメールアドレスを送り,以後はメールでのやりとりで済ませました。

  こういう場合に苦労するのが会場捜しになります。参加者の確定,日程・時間や予算の問題も,私の教え子が開いているお店を利用することで簡単にクリアできました。この教え子は最初の勤務校の野球部主将であった人物で,卒業後京都で修行して自分の店を出しているのでした。そのことは昨年のお正月,高校の同窓会で会って知ったばかりでした。私としては教え子の店を見たいという希望も叶えられ満足しました。(店の雰囲気は,他人には紹介したくない,隠れ家的なお店です。そう言えば,「一見さんはお断り」だとか言っていました。)

  この同窓会については,参加者の一人がくれたメールがすべてを語っていると思いますので紹介します。

 

日曜日には,美味しい料理と共に久しぶりにお会いできて本当に楽しく過ごせました。あの料理には,恩師をもてなしたいという温かさを感じ一緒にご相伴できて幸せでした。いろいろ調整をして頂き,五人で懐かしい話に花が咲き本当にありがとうございました。府立大を卒業してちょうど40年の年に京都で同窓会が出来たのも何かのご縁でしょう。みんな公私では多くの山を越え努力してここまで来たのだなということがよくわかりました。そして今でもしっかり前を向いて歩いているようで,いい友と出逢えて良かったと思います。

 

  京都で学生時代を送った人間として,悔いがいくつかあります。一つは,大阪まで足を伸ばして,朝比奈隆さんの指揮するベートーヴェンの交響曲をもう少し聴いておきたかったことです。実際に聴いたのは,私が急性肺炎で2週間入院した後,退院した1977年9月28日の『第七番』と『第四番』です。この日の演奏の『第七番』はライブ盤でレコード化されました(写真はジャケット写真)。氏の演奏はその後2000年5月に福岡で聴いた『第四番』と『第五番』が最後になりました。

 

朝比奈隆.jpg


  もう一つは,京都でもたびたび公演していた桂枝雀さんの落語を生で聴きたかったことです。枝雀さんの名前は学内に掲示してあるポスター案内で知ってはいたものの,本当の面白さを知ったのは卒業後のことでした。そして残念ながら,1999年に亡くなってしまいましたので,生のステージを見ることはできませんでした。(写真は,たくさんの演題の中でも大好きな『代書』が収録されたCD)

 

桂枝雀.jpg

 

  ところで、本学の学生たちにとって延岡はどういう街として記憶に残っていくのでしょうか。城山を中心とした城下町?愛宕山や今山,さらには行縢などの自然?あるいは,城山での薪能や⒓月の『第九』演奏会。いずれにしても,学生諸君が40年後懐かしく思い出してくれる街であればいいと思うし,悔いのない学生生活を送って欲しいと思います。

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