大学教育における教養教育の大切さについて

2020年8月31日

「私は〇〇を勉強しに行くんだから、××なんて科目は関係ない」

「私はここで□□の資格を目指すんだから、△△なんかやっている場合じゃない」


学内外問わず、ほんのたまにですが、上記のようなことを言う若者に出会います。こういう考え方は正しいでしょうか?


考えるヒントをお話ししましょう。


介護施設で働く職員Aさんがいました。

ある利用者さんが中国の生まれであることを知ったAさんは、大学の第二外国語科目で習った中国語で、あいさつと簡単な自己紹介をしたのです。

その瞬間、その利用者さんの顔がパッと輝き、「ああ、中国語~!」「ハンユィ ジァン ダ ヘンハオ ア!(中国語お上手ね!)」。とても喜んでくれました。

それ以来、おしゃべりしたいことがあると「あの人を呼んで!」。Aさんをとても信頼し、何でも話してくれるようになったのです。

母語は誰にとってもアイデンティティの一部です。片言でも、挨拶だけでも、相手が自分の母語で親しく話しかけてくれれば、自分は尊重されていると感じ、心が通じ合うのです。

ちょっとした出来事ですが、Aさんも自分の存在意義を感じ、より積極的に仕事に取り組めるようになりました。


また、Bさんは、転職を経て、ある企業に就職しました。

数年が経過したときのこと。Bさんは上司から海外赴任を打診されます。

その企業は台湾にも関連の施設を構えており、Bさんはそこで働くことになったのです。

こんなとき、大学時代に学んだ中国語が、古い引き出しの中から復活するのです!

Bさんは、かつて使った教科書を取り出します。そこで、自分がすでに中国の「最初の一歩」を理解していることを再発見するのです。同時に、中国語の勉強法も思い出します。

ここが重要です。大学における第二外国語の意義は、じつはペラペラになることではありません(そもそも週1回90分の授業でそれは難しいです)。

そうではなく、勉強のやり方を学ぶことにあるのです。

Bさんは、職務上の必要性も中国語学習のモチベーションに加わり、そこからの進歩は目を見張るほど早いものとなりました。


これらは、大学の教養科目が「生きる力」に繋がった例と言えましょう。

私は基礎科目も担当しているので、中国語の例を挙げましたが、ある学問が役に立つか立たないかなんて、大学に在学しているわずか数年間では分かるはずがありません。

とくに、1~2年生のうちは、興味のある学問について、免許資格に関係があるか否かに関わらず、何でも積極的に学んでみましょう。「つまみ食い」、大いにおすすめします!


大学の魅力は、「知」の「異種格闘技」にあります。一見するとまったく関連ないような学問どうしが、意外なところでぶつかり合い、繋がり合い、新たな展開を生んでいくのです。


「自分の専門はこれだから、こんなの必要ない、あんなの必要ない」

大学におけるこのような減算的思考は、人生そのものを味気なくし、発展のチャンスをも摘む、とすら思うのです。

(登坂 学)

 

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上海ウォーターフロントの夜景

写真引用: King of Hearts 氏 / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)より

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