教員の活動

国際交流

2016年6月27日

 

6月1日 アメリカマイアミ大学の学生が5名九州保健福祉大学に来てくれました。

この5名は大学で日本語を学んでおり日本に研修にきているとのことでした。延岡で約1ヶ月すごし、その後京都、東京の観光をして帰国するとのことで、彼らの日本の印象は京都、東京、延岡という少々偏ったものになるかもしれません。延岡に滞在するのは引率の日本語教育の先生が延岡出身であり、地方にこそ本来の日本があると言う趣旨からだそうです。

その先生は磯貝先生といいますが、共通の友人を通して私に連絡があり交流会をすることになりました。

私のゼミ1,2,3年生と秋葉ゼミの1,2、年生が参加しました。彼らはすぐに打ち解け楽しい時間を過ごしました。その後学生たちはラインで連絡を取りあい、近くの温泉に案内したり、ファミリーレストランで食事したり、カラオケに行ったり、浜辺で花火としたりと、大学生らしいおもてなしをしたようです。

うちの大学生も延岡にいながらマイアミ大学の学生生活の様子を聞いたり、その生活スタイルに触れたりする貴重な時間だったと思います。

時代だなと思ったのが、お互い通じない言葉はスマホの翻訳機能を使いこなし、ほぼ自由に意思の疎通を図っていたことです。

彼らはますます日本大好きになって帰国したことと思います。

写真は大学の講義室での交流会の様子です。

山﨑きよ子

 

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障害者支援施設「はまゆう園」運動会にボランティアで参加!!

2016年6月14日

6月4日に臨床福祉学科14名(1年生 1名、2年生 3名、3年生10名)がはまゆう園の運動会にボランティアとして参加しました。

今日は、その時の様子や参加学生の感想をお伝えしたいと思います。

 

3年生 仮屋君

初めて運動会のボランティアに参加して感じたことは、利用者のみなさんの笑顔と元気で、活発に自由に競技に出場している姿でした。社会福祉現場実習に行った時には、利用者の行動に圧倒されてどのように動けば良いのか戸惑いましたが、運動会では自分の役割もわかり自分自身も楽しく活動できました。

今考えると現場実習の前にこのような体験をしていればもっと障害の方の特性や施設の概要が理解でき、実のある体験実習になったのではないかと感じています。


 

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3年生 池野君

はまゆう園の運動会に参加してとても楽しかったです。利用者や職員、家族の方々が一体となって運動会を盛り上げている様子がとても印象的でした。

またボランティアとして自分たちの役割を十分に果たすことができ、とても充実した1日となりました。

 

3年生 竹中君

どの利用者もとても元気でした。障害物競争でフラフープをくぐる時など必死に走って、転倒したのを目の当たりにした時、一生懸命取り組んでいる姿が印象に残っています。

またそのような場面を見て、反対に多くの元気をもらいました。


 

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3年 中村君

障害者施設には行ったことがなかったので現場を見て、利用者と触れ合って運動会の活気に触れて、とても良い経験になりました。

 

 

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3年生 時松君

利用者の皆さんはとても元気で、ボランティアで参加した自分も元気を頂きました。

楽しい1日でした。

沖田ダムの森の中を歩きながら(1)

2016年5月30日

 

トイレの花子さん(10) 沖田ダムのこと
2015年8月18日

相変わらず,沖田ダムに通っています。


「トイレの花子さん(10) 沖田ダムのこと」 2015年8月18日付け

http://www.phoenix.ac.jp/faculty/social_welfare/cw_blog/entry/2015/08/002630.html

 

午前7時過ぎから830分頃まで,1周します。昨年の12月初めに膝に痛みを感じたため,今は急ぎ足で,約75分かけての一回りです。その間,色々なことを考えます。授業のことや,このブログのこと,今後の予定などのことです。

 

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ダムを訪れる人には常連さんもいます。その中に,母親と思われる年老いた女性を軽乗用車の助手席に乗せてやって来る男性がいます。その人の年齢は私と同じかひょっとした上かも知れません。小柄な女性は息子さんが見守る中,季節の花々を摘んで行きます。それは,完全に幼女を遊ばせている父親の姿と重なって行きます。「おはようございます」と挨拶を交わし,私は立ち去りますが,現在の福祉について思いを馳せます。老老介護や介護疲れによる心中や未遂など暗いニュースが多い中,あの母親と息子さんはどうなのだろうか?私が見る限りでは,息子さんは自分の幼女を遊ばせているような温かい眼差しでまさに見守っているという言葉がピッタリの雰囲気です。恐らくは母親もそして息子さんも幸福なのだろうなぁと思えてなりません。どういう境遇で生まれ育ち,どういう躾で子どもを育て上げれば,あのような親子関係を築き上げることができるのだろうかと思います。

『昭和萬葉集』巻18 の71頁に,津田百合江さんの作品があります。 

人生に二度の幼児期あると云ふ老いゆく日々の我や稚児(をさなご)

 まさに,あの母親は二度目の幼女期にあるのかも知れません。また,息子さんの家族構成は不明ですが,もし娘さんがいるとしたら,男性も第二の父親の気持ちになっているだろうと思います。 

 

3月下旬の『宮崎日日新聞』の経済欄に「レコード再生機 復活」という記事が出ていました。パナソニックがテクニクスのブランド名で,レコードプレイヤーを販売するという記事です。この見出しを見て,「再生機」という言葉に違和感を感じたのですが,それはレコードが非日常的なもの,特殊なものとなっているからかな,と思った次第です。レコードからCD,そして最近ではダウンロードやハイレゾなる言葉も聞かれます。 

私の家ではまだレコードが存在価値を持っています。レコードとCDの違いは,その操作の簡便さだと思います。例えば,ベートーヴェンの『第九』。無理してLPレコード1枚で発売されたものは,第3楽章の途中で裏返しにしなければなりませんし,余裕を持ったLPだと3面または4面ですので,それだけ針を降ろさねばなりません。それに比べると,CDに『第九』はきちんと収まっていますので手間いらずです(ところで,最初のCDの収録時間は『第九』が収まるようにということだったらしいですね)。ところで,このレコードからCDへの転換のおかげで,廃盤になって入手困難なレコードが再発売されています。その中には,足を棒にして中古のレコード店を探し回って手に入れたものもあります。また,若い頃はその良さに気づかなかった作品や貧しさ故に買えなかったものもあります。その一つが,デュークエイセスの『にほんのうた』です。宮崎県人にとっては,グループのリーダーが宮崎大宮高校出身の谷道夫さんであることや,「フェニックス・ハネムーン」などで有名なコーラスグループです。この『にほんのうた』シリーズは,全曲を永六輔さんが作詞,いずみたくさんが作・編曲を担当したもので,北海道が3曲,東京が2曲以外は,各府県1曲ずつの50曲から成ります。茨城県の「筑波山麓合唱団」,京都府の「女ひとり」,兵庫県の「別れた人と」,宮崎県の「フェニックス・ハネムーン」などがありますが,全国的に有名な作品はドリフターズがカバーした群馬県の「いい湯だな」でしょう。

 

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レコードは4枚で発売されました。私の記憶に間違いがなければ,1枚1500円でしたので,4枚で6000円です。この『にほんのうた』がCD2枚組では2000円少々ですので,レコードを買っていたら悔しい思いがしたかもしれません。しかし,全曲を聞いてみると、永さんの詞は軽妙洒脱な内容から,広島県の伝説の町や沖縄県のここはどこだなど,20165月の今日でも通用するテーマが描かれています。そして,永さんの詞を多面的多角的に音楽化したいずみさんの作・編曲の妙にただただ感心するばかりです。この作品を若い頃に聞いていたら,私の音楽の好みの傾向は変わっていただろうなと思います。特に,奈良県の奈良の鐘はいずみさんの天才ぶりが覗えて一聴に値すると思います。

このデュークエイセスのコンサートが宮崎で行われたのですが,残念ながら学位記授与式と重なり、聴くことができませんでした。ただ,NHK宮崎放送局が制作する地域ドラマ『宮崎のふたり』の挿入歌として使用されるということですので,再び注目されるかもしれません。

少々長くなりましたが,臨床福祉学科 長友道彦でした。

 

田中ゼミで新入生歓迎会を開きました!

2016年5月25日

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みなさん、新年度も2か月が過ぎようとしていますが、いかがお過ごしでしょうか。

宮崎は暑くなり、初夏の様相です。

本学では新入生も少し慣れて落ち着いたようです。


臨床福祉学科の新入生歓迎会に続き、

田中ゼミでも新入生歓迎会を開きました。

  

田中ゼミでは、新入生歓迎会(通称:新歓)と

4年生の追い出し(!)コンパ(通称:追いコン)は

田中ゼミの1~4年生約20名で行います。

 

幹事はいつも2年生です。

延岡のいろんなお店でやらせていただきますが、

お店を決めたり、席順を決めたり、

どんなふうに進めるかは幹事のお仕事です。

 

今回は、イオン多々良店の敷地内にある

お寿司屋さんになりました。

もちろん食べ放題コースです。


新入生は、先輩たちから授業やテストのことから

先生たちの噂話まで(!)、教えてもらっていました。

 

大学生活が楽しくなるのは、自分次第です。

いろんな人に出会いながら、

いろんなことにチャレンジしてほしいと思います。

 

文責:田中陽子

MSWという職業

2016年2月 4日

皆さんはMSWという職業をご存じですか?メディカルソーシャルワーカーと言って医療の現場で働く社会福祉専門職のことです。

社会福祉と言うと、施設などの福祉の現場で働くことをイメージしがちですが、多くの福祉専門職は医療の現場で働いています。

医療の現場で働く福祉専門職はどんな仕事をしているのでしょう?それは、患者さんの生活を支える仕事です。具体的な例で説明しましょう。

あるMSW(仮名さくらさん)の仕事を紹介しましす。

さくらさんは、ガン(悪性腫瘍)を診断したり、治療したり、あるいは亡くなるまでに痛みや苦しみを取るための病院で働いています。

その病院では、若い人でもガンが発見される場合があります。まだ小さな子供のいるお母さん(仮名あやめさん)にガンが見つかりました。

ほとんどの場合、まずお母さんが考えることは「子供をどうしよう」ということだそうです。「これからの治療に向けて子供をどこに預けるか、だれが面倒を見てくれるか?」あやめさんがもし母子家庭だったら事態はより深刻ですよね。ガンに蝕まれているという身体の問題と、今まで通りの生活ができなくなると言う生活の問題を抱えてしまいます。お金はどうするのか、仕事はどうするのか。病気になったことと同じくらいその悩みは深いと思います。

体は医師など医療専門職が治します。MSWさくらさんの仕事は、生活の部門の悩みに対応することです。

あやめさんが子供と離れて治療を受けなければならない辛さ、自分や家族がこれからどうなっていくのかという不安など、そのような感情を受け止め、サポートしていきます。感情のサポートだけではありません。医療費助成制度や子供を一時的に預かってくれる施設等の社会保障制度についての知識を活かして、助言もします。もし身体機能の一部を失い、日常生活動作(ADLと言います)ができなくなればそのための支援、住宅改修や車いすの手配なども必要です。MSWさくらさんはそのためにもいろいろな役所や業者と連絡し合って、あやめさんの生活を支えていきます。これがMSWさくらさんの仕事です。

その他MSWの仕事は、この前まで放映されていたテレビドラマ「コウノドリ」にも少しだけ出ていました。気が付きましたか?そこではMSWは望まない妊娠で生まれた赤ちゃんを誰がどこで育てるかに関わり、出産したお母さんもサポートしていました。障害を持って生まれた赤ちゃんと家族へのサポートもします。

また高齢者の退院支援や転院(他の病院に移る)支援をします。介護が必要になる高齢者を支える最前線の仕事です。

今の日本は少子高齢化や家族規模の縮小と言った社会的現象が起きています。昔なら家族で相談、解決していた問題が相談できる人がいなくなっています。それに代わって今後活躍がますます期待されるのがソーシャルワーカーです。

先週末、MSWの初任者研修の講師をしてきました。本学出身者もいて「大学で授業をうけているみたい。」という研修になりました。実際この写真のような演習を授業で行っています。この方たちはすでに資格を取りプロとして働いているのですがこうやってされに自分の力を上げるためにさらに勉強しているのです。7人中6名が本学出身でうち3名は通信教育部で働きながら資格を取ったそうです。残る1名も本学の姉妹校の吉備国際大学出身でした。

彼らの熱心で真摯な態度から、本当に患者さんのためになりたい強い気持ちが伝わってきました。

山﨑きよ子

 

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卒業生

2015年10月27日

10月24日、私は山﨑ゼミ卒業生のM君の結婚式に出席しました。私たちの席には大学時代の仲間が招待されており、卒業後7年目の同窓会の様でした。井上先生も招待されており、学生の卒業後の成長に眼を細めておられました。

 同じテーブルを囲んだ同窓生はそれぞれの人生を歩んでいました。福祉現場で活躍しているばかりでなく、製造業の会社員や、金融機関に勤めていると言う卒業生もいました。

 私は、「九州保健福祉大学で福祉を学んだことは、今の人生に意味があったか。」といったような質問をしてみました。

 製造業で働く彼は、「自分の職場には多くの障害者の方も働いています。そのような方の相談にのったり、また職場のバリアフリーについて上司から質問されたりします。福祉の大学をでていると福祉に詳しいと思われるので、自分も一生懸命考えながら質問に答えるようにしています。」とのことでした。また金融機関に勤める卒業生は「特殊詐欺の被害者は多くが高齢者です。自分たちはそのような被害にあわないように日々気を配って仕事をするように指導されています。また認知症サポーター教育等も職場では実施され、自分はそのようなことを理解しやすいので、福祉の大学を出たことは今の仕事に大変プラスになっている。」と答えてくれました。そしてもちろん福祉の現場で働く卒業生たちは「大学で学んだことは現場で生きている。」とのことでした。

 さらにみんなが口をそろえていってくれたのが、「福祉のこころを持って進学してきた仲間と知りあえ、もう10年以上もこのように親しくしている。一生の友人を持てたことが最も九州保健福祉大学に進学してよかったことだった。」とのことです。

手前味噌になりますが、こんなことを言ってくれた卒業生がいました。「僕は小学校、中学校、高校まで親しい友人ばかりでなく、親身に相談できる先生もいませんでした。どちらかというと先生には距離感がありました。だけど大学では親しく接してくれる先生が大勢いていろいろな話をたくさんしました。大学の先生が自分の中では一番身近です。大学に進学してそれもよかったと思っています。」

ちなみに彼らはもっともイケメン?の一人を除いて全員結婚しているそうです。

卒業以来7年ぶりの再開でしたが、本当にうれしく思いました。

もちろん、M君とお嫁さんは最高に素敵なカップルでした。これからも末永い幸せをお祈りします。

 

 

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国立療養所星塚敬愛園の見学に行ってきました!

2015年10月21日

9月16日、ゼミ活動の一環として、国立療養所星塚敬愛園の見学に行ってきました。皆さん、星塚敬愛園をご存じですか?

 

星塚敬愛園は全国に13か所あるハンセン病療養所のひとつです。星塚敬愛園の入所者は昭和18年に最多の1,347名にのぼりましたが、現在は、159名の入所者の方々が生活されています。

 

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入所者の方々は、らい予防法や優生保護法により社会から隔絶され、子孫を残すことを絶たれ、これまで過酷な人生を歩んでこられました。しかし、今回の見学でお話しを聴かせてくださった入所者の方は、「今、とても幸せ。職員の方々もとてもよくしてくれる」と語ってくださいました。そのことに加え、幼いころ、何も知らずに療養所に連れてこられたことや、死ぬまで療養所で生活しなければならないというあまりにも重い現実に向き合わなければならなかった過去も語ってくださいました。

 

ごく普通の生活を送っておられた方がある日突然ハンセン病を患ったことにより、これまで想像もしなかったか過酷な人生を歩まざるを得なかったこと、また、そのなかで必死に生きてこられたことを知ることにより、私は「私たち人間のもつ強さや弱さ」を改めて考えました。そして、全ての人が人として尊重され、自分らしく生きることができる世の中であること、さらに、そのような世の中を守り築いていかなければならないことを痛感しました。

 

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学生の感想

  私は今回、鹿児島県にある星塚敬愛園の利用者さんにお話を伺う機会をいただきました。お話を聞いた利用者さんは、幼少期から星塚敬愛園に入所されていると聞いていたので、内向的で口数の少ない方だと勝手な想像をしていたのですが、実際にお会いしてみるととても気さくな方で笑顔が絶えない、そんな印象を受けました。お話の中ではこの療養所に来た経緯や戦時中の話、当時の治療の事などを話していただきました。その中で私が一番印象に残ったのは、1949年に制定された「優生保護法」により、ハンセン病患者は強制的に断種・堕胎が行われたというものです。ハンセン病は感染症であり、決して遺伝病ではないので例え子どもができたとしても、その子どもがハンセン病で産まれてくるわけではありません。しかし、政府は収容所に患者を強制的に送り込み、子孫を絶ち、患者が死にゆくのを待つ『患者撲滅』を目的とした政策をおこなっていました。そのため、国民に誤った認識を与え、差別・偏見を強く植え付けてしまいました。子どもを授かりたくてもできない、妊娠したとしてもおろさなければならなかったという過去を知りました。このようなお話を聞き、どれだけ国の対応が悲惨であったか、国民の差別・偏見が酷かったか改めて学ぶことができました。また、施設内の見学もさせていただきました。郵便局や売店、理容室など様々な施設があり、園内だけですべてが完結できる、ひとつの町のようでした。多種多様な施設があることから、一度隔離されると生涯外には出られないという過去があったことを痛感しました。今回このような機会をいただいて多くのことを学ばせていただきました。お世話になりました施設職員、施設利用者の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。私も今回お話をしてくださった利用者さんのように世の波に負けないよう、力強く生きていきたいです。

 

今回、星塚敬愛園を見学したことで、元ハンセン病患者の人たちがどれだけ酷い目にあってきたのか、その時の体験談や資料、映像を通して学ぶことが出来ました。そして学んだことであまりにハンセン病に対して無知であったと思いました。とても貴重な時間の中で大切な学びが出来ました。

入所者の方のお話しから昭和時代の差別的で、かつ非人道的な待遇や戦時中に起こった悲劇など当時の様子を詳しく優しく教えていただきました。当時の様子を知っている方々は高齢化によりお話を伺うのが困難になってしまった方や当時のことを思い出してしまうから話したくない方がいらっしゃる中で今回、お話しをしてくださった入所者の方のお話はとても貴重で有難いものでした。

  資料や映像を見たことで、更にハンセン病に過去かかっていただけの普通の人たちが何故あんなにも国公認で差別的な扱いを受けていたのか憤りを感じました。子どもを産んで夫婦で育てるという当たり前のことやそれ以上に産むことさえ許されず「恥さらし」とまで呼ばれ同じ女性として胸が痛みました。同じ立場に立ったら、更に逆の立場であったらどのようにしていたのだろうかと考えました。

  今回の見学で無知であった部分は減らすことが出来たと感じています。更に文献を読んだり学びを進めたりすることで更なる理解を深めようと決めました。

 

私は、らい病という病気のことを全く知りませんでした。今年の夏に大学のゼミと言うことも兼ねて一度見学しに行った感想は、様々な病気があるなかでもハンセン病「らい病」がたくさんの人々に恐怖心を抱かせており、私も実際のところ少し不安を抱えた状態で鹿児島の星塚敬愛園に見学に行きました。

今回お話しを伺った元患者の入所者の方は90歳にもなる方で、ですが全く衰えもなく元気なお年寄りだなって思ったのが正直な感想でした。確かに、顔や手足などは末しょう神経を病原菌により不自由な部分はあるけれど、私は普通に話もでき笑えていられる入所者の方を見ていて、なんだかとても落ち着いていて、安心して話ができたと思います。しかし、私が一番許せないのが政府の考えでした。 なぜなら、ハンセン病の患者さんたちはこういった病原菌にかかりたくてかかったのではないのに、そういう患者がいる事を国同士の関係などで、その人達を隔離させ施設に入れさせておき、その人達の一生の人生を奪うことは誰であっても許されることではないと思います。

  入所者の方のお話を今回聞けたことで自分の置かれている立場などが少しわかった気がしました。 最後に入所者の方が言ってくれた言葉はしっかりこれから生きていくために、生かしていきたいと思いました。

 

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以上、星塚敬愛園見学のご報告でした。入所者の方々、施設スタッフの皆様、貴重なお時間、お話をいただき誠にありがとうございました。今後とも、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 臨床福祉学科 西田美香

トイレの花子さん(11) 「信号待ちの車に運転者がいない!?」

2015年10月 1日

9月15日の横山先生の「結婚式」のブログを読んで,思い出したことがあります。最近の高校の修学旅行は研修や体験が中心となって、昔のような見学だけというのは少なくなりました。以前の東京周辺の修学旅行では、最高裁判所や国会議事堂、東京証券取引所などが定番でした。旅行会社が国会内の見学手続きの際に、国会議員の紹介があるとスムーズにいくということがあったらしく、私が修学旅行を引率した時は、地元選出国会議員がわざわざ顔を出して、生徒たちに挨拶してくれました。その内容は、「しっかり勉強し、結婚式の時には学校の先生を招待するような生徒であって欲しい」といった趣旨でした。議員の本音がどこにあったかは不明ですが、当時の私は(結婚式に招待できるくらい充実した高校生活を送りなさい)という内容に理解しました。決して、(功なり、名をあげて立派な姿を見せなさい)という意味ではなかろうと考え、政治的言行では相容れぬものがある議員でしたが、「結婚式には先生を招待しなさい」の部分に関しては、議員を見直したことを思い出しました。

 さて,9月も終わろうとしています。大学は28日より後期の授業が始まりました。この時期になると田んぼの畦道に赤い彼岸花=曼珠沙華が見られます。私は、この花を見るたびに思い出す短歌があります。

 

 

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曼珠沙華 一むら燃えて 秋陽つよし そこ過ぎてゐる しづかなる径(みち)  

高校の国語の教科書に掲載してあった木下利玄(きのした りげん 本名は、としはる と読むらしい)の作品です。秋の午後の風景を的確に詠んだ歌だと思います。教科書と言うと、無味乾燥で面白くないと思われがちですが、受け止め方で生徒にささやかな感動を与えることもあるという一例です。

 

そして、最近の沖田ダムの様子です。ついに、ダムの周回コースは国際的になってきました。先日から見かけていた外国人がいましたので、話しかけたら、イギリスからの青年でもう7年になり、このダムは非常に気に入っているということでした。(この内容は、英語ではなく、日本語で話してくれました。念のため)

 次に、ダムの様子を注意深く観察すると、管理事務所のあたりにトンビが出没するということです(写真)。管理人の話によると、時々食パンを与えているということでしたが、写真のように仲良く並んでいる場合もあるし、1羽だけの時もあります。いつもいるのではなく、広い空をあちこちと飛び回って気が向いたらダムにやってくるという感じです。昨日、市内を散歩中に「ぴー、ひょろろ」という鳴き声が聞こえました。ひょっとしたら、ダムの太郎かアイ(勝手に名前を付けています)だったかもしれません。(とんび,とんび2)

 

 

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最後に、昨日の散歩ではびっくりするような光景に遭遇しました。延岡警察署付近の三差路を私は、南延岡駅の方向に南側の歩道を急ぎ足で歩いていました。北向きの車が4~5台信号待ちで停まっていました。4台目の車の横を通りすぎた時、「うん、???」と違和感を覚えました。運転者がいなかったのです。まさか?車内で何かを落としてしまって、拾おうとして体を屈めているのではないか。私は後ろ向きに2歩下がってその車を覗き込みました。いません。え~、どういうこと?私の頭の中に、30年以上前の海外のTVドラマの『ナイト・ライダー』が浮かびました…。まさか?

 ♪♪♪♩ 真相判明。運転者が前の3台目のところから戻ってきてドアを開け、運転席に座りました。以下は、私の想像です。3~4台目の車は、知り合いで、同じ目的地に向かう途中、4台目の車のほうが「そこのコスモスで飲み物を買って行くからから、先に行っといで」ということだけを伝えたのであろう。携帯電話やメールは使えないから、あのような行動に出たのでしょう。

 これを大学の授業に絡めて述べると以下のようになります。文部科学省の『学習指導要領』を読んでいると、「多面的・多角的に」という表現が出てきます。上述の、私にとっては「運転者のいない車」は、後続の車の運転者にとっては、運転者が自分の車を降りて前の車に近づいたのでちょっとはびっくりしたかも知れませんが、その行動を見ているので、不思議なことではありません。同じように、反対側の歩道にいた人も、「あぶないなぁ」とかは思ってもびっくりはしなかったでしょう。前方の2台目の車の人は全く気づかないか、サイドミラーやバックミラーで気づいても、驚くことはなかったろうと思います。結局は,助手席側から見た私だけがびっくりしたのだということになります。自動運転の自動車がない以上、物事を合理的にまさに「多面的・多角的」に見て、考えることが大切な例だといえます。

 それにしても、本当にびっくりしました。そして、そのあとは、びっくりした自分がおかしくて、しばらく笑いながら歩きましたので、今度は私とすれ違った人たちに気味悪い思いをさせたかもしれません。

 臨床福祉学科 長友道彦

 

トイレの花子さん(10) 沖田ダムのこと

2015年8月18日

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大学の南,直線距離にして約2㎞の場所に沖田ダムがあります。ダムの周囲は8.16㎞の周回コースになっており,水辺まで降りて行くこともでき,釣りをする人やゴムボートをダム湖に浮かべて楽しむ人たちもいます。夏場のこの季節は中央の公園に自然を活かしたプールも開設されて,親子連れなどの姿が見られます。

 私はこの周回コースが好きで,もう10年近く通っています。最初は,普通の自転車でダムまでこぎ登り,一周して帰るというパターンでした。この「自転車でこぎ登る」という運動のきつさは今でも思い出しますが,まさに「心臓がバクバク」という状態で,50歳代初めで久しぶりに感じた体力的なきつさでした。自転車で一周というパターンをしばらく続けていましたが,歩いたりジョギング(ランニング)している人たちもいるので,歩いてみることにしました。

 『となりのトトロ』ではありませんが,歩くのは大好きでした。自宅から愛宕山や城山,今山へ行ったり,五ヶ瀬川や大瀬川の堤防などを歩いていました。ダム湖の周辺を歩き始めると,今までとは違う楽しみに気づきました。木々の葉擦れの音や川の水音,鳥や昆虫の鳴き声,季節によって変化する光や木の葉の色や落葉。春夏秋冬の変化を楽しむことができるようになりました。実は,以前「欲しいなぁ」と思っていた物にヘッドフォン型のステレオがありました。「歩きながらでも音楽が聴けたらといいだろうな」という気持ちでした。しかし,今は欲しいとは思いません。季節に応じて変化する生き物の鳴き声やせせらぎの音,風の音を聞きながら散歩する喜びを大切にしたいと思うようになりました。散歩しながらイヤフォンを耳にしている人を見かけると,「せっかくの自然の音色があるのに,もったいない」と思うようになりました。

 週末に,歩いて一周することを3~4年続けました。その間,9月以降になるとランニングする人が増えてきます。綾マラソンや,青島太平洋マラソンなどに挑戦する人たちだろうと思います。そこで,私もランニングに挑戦することにしました。歩くことの好きな私でしたが,歩くことと走ることではこんなにもきつさが違うのかを思い知らされました。周回コースには反時計回りに500㍍ごとに標識が設置してあります。まずは,500㍍を走りましたが,息が切れました。少しずつ,少しずつ慣らしてゆき,何とか走りきることができるようになりました。現在は,年齢のことも考え,無理をしないように走ったり歩いたりしています。

 さて,このように沖田ダムに通うようになると,珍しい光景に出逢うことがあります。まずは,猪の子どもたちのうりぼうを見かけました。3匹ほどのうりぼうが私の前を歩いていたのですが,私に気づき,山側へ逃げて行きました。

 もう一つは不思議なガマガエルです。周回コースは,反時計回りに歩くと,右手が山,左手がダムの湖水側になります。私が歩いていると前方の左手のガードレールの下にガマガエルがたたずんでいました。「どうするのかな」と思いながら,その横を通り過ぎたあと,振り返って見るとガマさんの姿はそこにはありませんでした。ガードレールの下は,2㍍ほどの崖です。私は歩きながら,「ガマガエルは誤って落ちてしまった事故なのか,それとも覚悟の自死なのか」と考えながら歩き続けました。

 

このように沖田ダムを愛している私は,少なくともダムを汚したりすることはありません。しかし,中には心ない人がいて,弁当くずやペットボトルなどが投げ捨てられています。その一方で,そうしたゴミを集めて片付けたり,大雨の後の土砂や側溝にたまった枯れ葉などを取り除いてくれている奇特な方もおられることを紹介して今回は終わります。

臨床福祉学科 長友道彦

 

トイレの花子さん9~コンサートでトラブル発生!~

2015年7月 8日

久しぶりに,レコードを聴いています(長友家ではまだレコードは現役なのです)。ワルド・デ・ロス・リオスというスペイン出身の音楽家(編曲・作曲家,指揮者)の『八つの偉大なシンフォニー』です。40年ほど前の音楽業界では「ポップ・クラシカル」という音楽のジャンルがあって,その先駆けともなった人物であり,レコードです。ベートーヴェンの「第九」やシューベルトの「未完成」,モーツァルトの「交響曲40番」などが収められています。このレコードのドボルザークの「新世界より」を初めて聞いた時の驚きは,今でも覚えています。それは,どこかのオーケストラの演奏に後からエレキ・ベースやギター,ドラムスなどのリズムセクションをかぶせただけの演奏と思わせる導入から,ワルドらしい原曲の雰囲気を残したままの編曲であったからです。以後,彼のアルバムを求めてレコード店巡りをしました。結局,交響曲集が2枚,モーツァルトの曲集,協奏曲集,序曲集,オペラ集が各1枚の計6枚を入手しました。

 

 

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クラシックの旋律の借用はそれほど珍しいことではありません。この「新世界より」の第2楽章の有名な旋律は,「遠き山に日は落ちて」という歌で知られています。また,モーツァルトの「ピアノ協奏曲21番」の第2楽章などのように,映画音楽などにも活用されている曲もあります。私が俳優・高倉健を評価するようになった作品は,『冬の華』でしたが,これにはチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」が巧みに活かされていました。

 このように書くと,「あなたの音感は良いのでしょうね?」と言われるかも知れませんが,全く良くありません。時々,家人からたとえば「ベートーヴェンのピアノ協奏曲3番て,どんな曲?」と訊かれたとします。私の頭の中では,その代表的な旋律が浮かんでいるのですが,唇をついて出てくるのは似ても似つかぬ旋律なのです。家人曰く「どんなのか見当もつかない」。私「・・・」。

 私が自分の音感の無さを思い知らされたコンサートがあります。私が,日本映画の中で最高傑作と思っているのは,松本清張の原作を野村芳太郎が映画化した『砂の器』です。ハンセン氏病に対する偏見・差別と殺人という重いテーマを扱いながら,映像美と演技力と音楽によって大きな感動を与えてくれます。加藤剛演じる主人公の作曲家が書いたのが『宿命』という「ピアノと管弦楽のための組曲」で,当時の朝日新聞の映画評で「殺人を犯す人間が作るにはあまりにも美しすぎる」といったニュアンスの記事を覚えています。実際の作曲は今は亡き菅野光亮(かんの・みつあき),音楽監督は芥川也寸志(あくたがわ・やすし) (龍之介の子どもさんで,故人)。芥川氏が「独立した演奏会用としても鑑賞に値する作品」と表した名曲です。いつかは実際に生で聴いてみたいと思っていましたが,実現したのが九州交響楽団の演奏会でした。指揮は実際の映画音楽でもタクトを振った熊谷弘さん,ピアノは羽田健太郎さん。『宿命』の生演奏があり,指揮の熊谷さん・ピアノの羽田さん・コンサートを企画した川谷さん,そして菊池恵楓園園長の由布雅夫氏のトークがあり,実際の『砂の器』の上映という構成でした。

 

 

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「遂に『宿命』を生で聴いた」という感動冷めやらぬ中に始まった熊谷さんと羽田さん,企画の川谷さんのトークの中で語られた驚きの事実。

 羽田さん:いやぁ,慌てましたよ,途中でピアノの弦が1本切れてしまったから。

  (客席を向いて)気付きませんでした?

 全く,気付きませんでした。1音抜きのピアノに気付かなかった自分の耳に失望するか,1音抜きのピアノで熱演した羽田さんに拍手を送るか,それでも感動を与えてくれる曲を書いた菅野さんを絶賛するか。いずれにしても自分の耳がたいしたものではないことを思い知らせてくれたハプニングでした。なお,羽田さんは2007年に亡くなりましたが,熊谷さんは,2012年11月に再び九州交響楽団と『宿命』を演奏しました。また,西本智実さんも昨年日本フィルハーモニー交響楽団と演奏して,これはCDで発売されています。

 コンサートでのハプニングでは,ヴァイオリンの弦が切れた演奏会もありました。宮崎室内楽音楽祭(現在の宮崎国際音楽祭)で,県立劇場のコンサートホールにその名を残すアイザック・スターンさんを中心として,徳永二男さんなど日本人演奏家によるブラームスの「弦楽六重奏曲第2番」を演奏していたときのことです。第2楽章の途中で,スターンさんのヴァイオリンの弦が切れて,第2楽章の最初から演奏し直しました。この旋律は映画音楽にも使用されたくらいの美しく哀愁を帯びたメロディで,私の好きな曲の一つでしたから,中断したのは残念でしたが,ちょっと得した気にもなりました。

 ついでに,オーケストラでのハプニングも思い出しました。オーケストラで,ステージ前方から後方へヴァイオリンのリレーが行われたことがあります。最後尾の人は,自分のヴァイオリンを前の人に渡し,リレーされたヴァイオリンを持ってこっそりと退場し,しばらくして静かに加わりました。恐らく前方の奏者の弦が切れ,後ろの人のヴァイオリンを借り,後ろの人はさらに後ろの人の楽器を借りて…というように,リレーされたのだと思います。オーケストラの場合,人数が多いので,演奏し直すことはないのでしょうね。

 いずれにしても,トラブルやハプニングといった不測の事態に対する危機管理の意識や態勢を整えておくことは大切なことです。

レコードからCDの時代になって(CDも時代遅れになりそうですが…),良かったことは,レコードで廃盤となり入手困難なレコードがCDで復刻されてきたことです(例えば,宮崎県出身の尺八奏者村岡実さんが,ジャズの「テイク・ファイブ」を演奏した作品など  KICS2535)。しかしながら,上に書いたワルドの作品はまだ,CD化されていません。現在彼の作品を聴くことができるCDは,編集盤の『僕たちの洋楽ヒットVol.3』(WPCR-14418~9)でミゲール・ラモスの歌唱で「よろこびのシンフォニー」として聴くことができます。彼の作品がCD化されることを願いながら,今回は終わります。なお,映画のサウンドトラック盤の『宿命』も入手可能です。

長友道彦でした。

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