教員の活動

五島列島の旅

2017年5月25日

学科長の秋葉です。連休に長崎県の五島列島に行ってきました。前にゼミ生が五島から来ており、どんなところかなと興味がありましたが、そう簡単に行けません。宮交の募集した団体ツアーがあったので、意を決して参加してきました。長崎まではバスで6時間、さらにそこからフェリーで3時間ほど。やはり時間がかかります。遠くに島影が見えてきた時の印象は、ずいぶん山が多い島だなぁというものでした。南太平洋の島国に住んでいたことがありますが、あちらの島はサンゴ礁からなる島が多いので、平べったい島ばかり。こんなことからもえらい違いを感じたのでしょう。



 

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五島には古い歴史があります。旧石器時代にはもう人が住んでいたようですし、古事記に出てくる知訶島が五島とのことです。遣唐使の時代には唐へのルートにもなっており(南路)、多くの人たちがここを通っていきました。空海もこのルートで行ったようです。遣唐使が唐にたどりつける確率が50%程度とか。往復するとなるとその半分の確率になるでしょう。島に「お船様」という遺跡がありました。船の形をした石ですが、これに向かって航海の無事を祈りました。航海技術も未熟な時代です。どんな気持ちでこの石に人々は向かったのか、、、、。千数百年前の人々に思いを馳せました。


 

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五島は隠れキリシタンの島でもあります。江戸時代に幕府の迫害を逃れて信仰を守り続けてきました。明治時代に入ると信仰の自由が認められるようになり、次々に教会が建てられました。それをバスで巡ったのですが、日本でこれだけ教会が多い地域は、他に例がないのではないでしょうか。お墓も日本式ではありません。墓石には十字架があり、戒名を見ると、洗礼名(マリアとかミカエルとか)がつけられています。始めてみました。



 

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下の写真は五島の奇岩の一つ「トトロ岩」です。トトロに似てますよね。

 

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たまに日常を離れるのも大事です。リフレッシュして仕事に励めます(励んでいます)。

専門ゼミの活動

2017年5月 9日

新年度になって早ひと月、新しい専門ゼミ生が決まりました。専門ゼミというのは、「この先生のもとで自分はこんなことを研究してみたい」という学生の希望と「この学生を自分が育ててみたい。」という教員の思いが一致して決まるクラスです。

少人数で楽しくまた厳しく学んで行きます。

私のクラス「山﨑ゼミ生」は今年4年生が8名3年生が3名です。4月末に4年生が3年生を歓迎する懇親会を企画してくれました。

3年生以上になると全員成人していますので、会場もお酒の飲める居酒屋が多いです。今回も居酒屋Eになりました。

コース料理と飲み物飲み放題2時間でいくらという形式のお店です。4年生はお店を決め、予約をしたり、どのようにお店まで行くか、帰るかなども考えながら決して飲酒運転者が出ないように、一人一人に確かめます。また個室で自分たちだけで話ができるようにするなどいろいろ条件を考えるので大変です。

でもこのような交流会はとても楽しくみんなと仲良くなれるので私のゼミでは時々行います。

3年生と4年生が早めに仲良くなる必要が 山﨑ゼミにはあるのです。それは5月末には一緒に木城町の石井記念友愛社というところに合宿に行くからです。一緒にご飯を作り、また同じ部屋で枕を並べて寝るので、(当然男女は別々ですが)早くから仲良くなっていてもらいたいと思って計画をお願いしました。

合宿の様子やそもそも「石井記念友愛社とはどんなところか」はまたの機会に報告しますね。

私は本大学が設立されて以来、もう十数年この専門ゼミを担当してきました。私のゼミの卒業生は百数十人になります。今年も3月に8名が卒業して行きました。8名のゼミ生の内7名が社会福祉士に合格しました。内2名は精神保健福祉士とのW資格で合格でした。また高等学校福祉の教員免許と社会福祉士の二つの資格を得、先生になるか福祉の道で頑張るか迷った挙句なんと倍率33倍の超難関の就職先に就職出来た学生もいました。さらにもともと介護福祉士資格を持って入学してきてしっかり社会福祉士資格を得てこれもW資格で卒業していった学生、子どもが好きで保育士資格を地道に受けながら児童発達支援センターに就職した学生、ボランティアと最後まで両立させながら試験合格をつかんだ学生もいます。一人一人が自分のライフストーリーをしっかり展開していった大学生活であったと思います。

その中で、時には文字通り寝食を共にしたり、福祉士の国家試験勉強にまい進したり、卒業研究が進まず悩んだり、泣いたり笑ったりしながら大学後半の2年間を過ごします。この専門ゼミこそが大学生活の醍醐味だと言う先生もいます。

そんなゼミが今年もスタートしました。一年間頑張らねばと私もまた気合を入れているところです。

山﨑きよ子

卒業生の活躍

2017年3月30日

大学教員の仕事には、研究と教育以外に地域貢献があります。住民への公開講座や講演のほか、福祉事業所が開催する会議の外部委員を引き受けることもあります。市町村や県の公的機関が組織する委員会への参加も地域貢献のひとつです。

 

先日、宮崎県社会福祉協議会が開いている委員会に出席しました。会議終了後、事務担当者の交代の挨拶があり、新年度から新しい事務担当者として紹介されたのが臨床福祉学科2010年度卒業生でした。たくさんの委員会メンバーの前でしっかりと新任の挨拶してくれました。新年度からの委員会がとても楽しみです。

 

学外実習で巡回指導にいくと職員として働く卒業生に会うことが増えてきました。また、実習施設指導者として卒業生が担当してくれています。今年のゼミ生から「就職が内定した福祉事業所の管理者がゼミのOBでした」との報告も受けました。

 

大学で仕事をしていると常に学生と接しているので、卒業生に対しても学生の頃の記憶のままで止まっています。そんなとき、社会で活躍している彼らに出会ったり話しを聞いたりすると、「立派になったな」と親心のように感慨にふけります。

 

臨床福祉学科の卒業生は福祉現場だけでなく、たくさんの業種に進んでいます。どんな仕事をしても本学科で学んだ“福祉のこころ”を胸にとどめてこれからも活躍してほしいです。

 

臨床福祉学科 三宮基裕

 

8月から始まる社会福祉実習の実習指導者との事前面談の様子。
卒業生も指導者として出席してくれました。 

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沖田ダムの森の中を歩きながら(4)

2017年3月17日

季節は段々と春めいてきています。沖田ダムに上っていく道路の川沿いにはこの時期になると,きれいな花が咲きます(写真:河津桜)。河津桜でしょうか,名前はわかりませんが,思わず見とれてしまいます。もっとも,これも車だと気づかずに通り過ぎてしまうかも知れません。最初に気づいたのは,自転車でダムに向かう途中でした。それ以来,この時期には注意するようにしています。

 

 

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この季節には,鳥たちのさえずりが活発になってきました。歩いていると,すぐ前や横を鳥たちが飛び回っています。2月下旬にはウグイスの初音も聞きました。まさに鳥たちの楽園といった風情があります。しかし,あと4ヶ月もすれば,セミたちのうるさいと言っていいくらいの鳴き声にこの道も覆われます。

また,冬の間に木々が木の葉を落として,見通しがよくなっている間だからこそ見える風景があります。ウサギ?きつね?犬?(写真:動物の顔)の顔のように見える部分が姿を現します。目のように見える部分が人工的なものなのか,たまたま偶然なのかはわかりませんが,この時期限定の光景です。若葉が生え始めると見えなくなってしまいます。

 

 

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さて,自分の才能の有無は別として,憧れている職業があります。編曲家(アレンジャー)です。今年(2017年)1月22日付朝日新聞の文化欄で「編曲家 歌に魔法」という見出しで特集されていたので,読まれた方もいると思います。記事を引用すれば,「編曲家とは 歌謡曲のイントロや伴奏,間奏などの譜面を作り,作曲家の作った歌メロや作詞家の作った詞を引き立て,曲の世界観を完成させる音楽家」です。ここでは,歌謡曲と書いてありますが,それだけでなく,音楽全般とした方が良いと思います。楽曲の魅力を引き出していくという点では,本学の建学の理念である「学生一人ひとりのもつ能力を最大限に引き出し引き伸ばし」に共通することだと思います。

私が,歌手や演奏者,作詞家・作曲家と同じように(あるいはそれ以上に)編曲家に注目するようになったのは二十歳前後の頃だと思います。その頃聞いたFM番組の中で,小椋佳さんが「小野崎孝輔さんは弦(ストリングス)の使い方が素晴らしい」といった趣旨のことを話したの聞いたのが,きっかけでした。改めて,レコードのクレジットに注目すると,初期の小椋さんの曲は,ほとんど小野崎さんが担当しています。当時(そして今でも)私が大好きなビー・ジーズというグループは大多数が3人兄弟の合作ですが,これも初期のほとんどの編曲は,Bill  Shepherd と記載してありました。それ以後,歌手や作詞家・作曲家だけでなく編曲家にも注意を払うようになりました。

そうした編曲家の中で,以前から,文字にしたいと思っていた人がいます。木田高介さんです。

五輪真弓さんの代表作に「恋人よ」という曲があります。歌詞の「冗談だよと笑ってほしい」という部分が実は,木田さんの死を歌ったものだということを,NHKテレビの午後のトーク番組の中で五輪さん自身が話しているのを見ました。もう10年以上前のことです。このことを誰かに喋りたかったものの,年月が経過し,いつ放送の正式な番組名もわからないままで,「私だけが知っている」状態でした。昨年11月5日の『朝日新聞 be版』で「恋人よ」が取り上げられ,五輪さんにとって「兄のような存在」であった木田さんとのエピソードが紹介され,やっと胸のつかえが取れた思いでした。

1980年5月に31歳で事故死した木田さんの編曲した作品として2曲が紹介されています。貧しい同棲時代の表現にぴったりマッチしたヴァイオリンのソロが哀感を誘うかぐや姫の「神田川」,一転して(昨年11月に亡くなった)りりィさんの「私は泣いています」は,デキシーランドジャズ風の編曲が施されています。

しかしながら、私が木田さんの仕事の中で出色の出来だと思うのは,上条恒彦さんが「六文銭」をバックに歌い,1971年の第2回世界歌謡祭でグランプリを取った「出発の歌-失われた時を求めて-」です。「さぁ~今 未来に ~宇宙に」と歌う長いリフレインのあと終わったかのように思ったあと,ドラムから始まる再度のリフレインが続き,そして華々しく終わるというダイナミックな編曲ですが,途中の木管楽器によるオブリガードも印象に残ります。私の好きな1曲で,是非聴いて欲しい作品です。 もし,事故に遭わなければどのように素晴らしい仕事をしているのだろうと思うと,残念でなりません。次回は,深町純さんについて書きたいと思います。      長友道彦でした。

沖田ダムの森の中を歩きながら(3)

2016年11月17日

沖田ダムの森も,秋から晩秋の風景となりました。9月頃はイガグリや栗の実も落ちていて,今年は拾い集めて茹でて食べました。10月になると,キンモクセイが植えられている道沿いの甘い香りに例年のように郷愁を覚えました。また,これまでは殻だけ落ちていて注意を払わなかったものに,アケビがあります。甘い物に飢えていた時分には,時に口にしていたのがアケビです。散歩の途中,落ちたばかりのアケビを拾ったものが(写真1)です。

 

 

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50年ぶり位になるでしょうか,久しぶりに口にすると,ほんのりとした甘みがありました。しかし,黒い種もあり完食はできませんでした。昔は,これでも充分に甘く感じられたと思います。上を見上げると,枝に実をつけていました(写真2)。

 

 

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そのうちに,鳥たちの餌になり,殻だけが落ちてくるのでしょう。また,ムカゴを採っている人に出会ったこともあります。里山には,色々な食べものがあり,動物や鳥たちにとっても絶好の食糧の確保の場所になっていることを実感させてくれます。動物と言えば,猪の子どものうり坊は2~3回見かけましたが,先日は鹿らしきものを見かけました。以前,都農町に住んでいた頃の早朝,都農ワイナリーの麓で親子連れをはっきりと見たことがあるので,恐らく間違いないと思います。

 すっかり秋らしい風景となりました(写真3~写真5)。これから,落葉がすすみ,冬の風景に変わっていきます。

 

 

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そのようなダムの小道を歩きながら,思い出したことがあります。

 それは,60年を越える人生の中で,今でも忘れられない光景です。勤務していたある高校で目撃した場面です。1月中旬のある朝,SHRに行くために事務室前の玄関を通りかかった時,1人の女子生徒が玄関横の赤い公衆電話で,声を抑えながらも厳しい口調で話している声が耳に届きました。「駄目じゃないの,ちゃんと起きて学校へ行かなくちゃ!」。顔を見ると私が教科を担当しているSさんでした。不登校か,あるいはその傾向があり,高校受験を控えている弟に登校を促している内容でした。今,「高校受験を控えている弟」と書きましたが,これはその後で担任の先生に,見かけた光景を伝えた時に,担任から入手した情報です。こうした情報交換が,教育現場では重要なことであることは今も変わりません。その後,このことで彼女と話をしたり,大きく事態が動くこともなく,時は過ぎて行きました。

 後日談になります。その年の4月に私は他の高校に転勤になりました。夏休みの8月中旬に,担任していた女子生徒たち数名が訪ねて来てくれました。転勤後の学校のこと,進路のこと,そして友だちのことに話が咲きました。その中で,私から訊ねたのか,それとも彼女たちの誰かが「そう言えば…」という形で切り出したのか,判然としませんが,Sさんの名前が出ました。それは,私にとって衝撃的でした。「Sさんが大きなお腹を抱えてバスに乗っているのを見かけた」という内容です。聞けば,高校も退学したとのことでした。

 1月中旬の,必死に高校受験を控えた弟に登校を促している彼女の姿から,妊娠・退学した彼女の姿は簡単には想像することはできませんでした。1年足らずの間に,彼女の身に起こった事態を考えると,暗澹たる思いでした。自分にできることはなかったのか,今でも忸怩たる想いがあります。今,私にできることは,彼女(下の名前はR子さんです)が幸福に暮らしていること,生まれたであろう子どもさん(30歳を越えたくらいでしょう)も幸福であってくれたらなと願うことです。

 R子さん。今あなたがどういう境遇で暮らしているかわからないけれども,あなたの幸福を願っ ている人間が1人はここにいますよ…。

 

教師はこんな風に,何かの拍子に,思いがけない生徒の名前や顔を思い浮かべることがあるのです。

 

臨床福祉学科  長友道彦

沖田ダムの森の中を歩きながら(2)

2016年9月22日

ビール系飲料の消費量の伸びが思わしくないという報道もありますが,私は「とりあえずビール」ではなくて,「まずはビール」です。それも諸般の事情が許せば,SビールのYがあれば,何も言うことはありません。


  さて,その私が学生時代の夏休みに,京都は三条大橋に近いビルの屋上でビアガーデンのウェイターをやったことがあります。その中で記憶に残っている客がいます。
それは,20代後半のカップルでした。女性の方がリードしているのか,「生ビールの大と中。枝豆と……。」という注文でした。ビールと枝豆を持って,大を男性の方に,中を女性の方に置くと,女性が何も言わずに,ジョッキを入れ替えました。男は大,女性は中という私の先入観のなせる過ちでした。
トラブルには発展しませんでしたが,以後人間観察には留意するようになりました。

  次のような苦い思い出もあります。
雲行きの怪しい,今にも降り出しそうな天候は,ビアガーデン泣かせです。そのビアガーデンは京都でも名の知れた割烹が出していたので,提供しているメニューにも細やかな配慮がなされ,定番の枝豆も当日茹であげた物を提供し,余ったからといって翌日に回すことはしておりませんでした。
さて,そんな天候の思わしくない夜でしたが,何とか閉店時間が近づいてきました。翌日に残さないために,枝豆を多めに提供していました。ところが,閉店近いというのに,団体客が来てしまいました。当然枝豆の注文もありますが,その量は少なくならざるを得ません。テーブルに持って行きますと,案の定「たったこれだけ~?」という苦情を受けるのはウェイターの私たちでした。
内情を言うこともできず,「申し訳ありません」と頭を下げるだけでした。

  お酒が嫌いな方ではなく,冬でもビールの好きな人間が若いときに,ビアガーデンでアルバイトしたらどうなるのか?まさか,呑みながら仕事をすることはありません。ただ,時には仕事が終わった後,無性に呑みたくなるときがあります。そんなときは,河原町三条にあった(いまもあるのかな?)アサヒのビアホールで一杯だけ飲んで帰りました。そこは,殻付き落花生が無料サービスでした。
これを書きながら,「当時は缶ビールの自動販売機はなかったのかな?」とふと疑問が生じました。貧しい学生がビアガーデンのウェイターのアルバイト帰りですから,今だったら自販機ですよね。当時は,今ほど缶ビール等の自販機はなかったように思うのは気のせいでしょうか。

 

ところで,ほぼ毎日歩いている沖田ダムがこれまでにない光景を見せてくれました。7月から8月にかけてほとんど雨が降らなかったので,水位がどんどん下がっていきました。今まで見えていなかった地肌が姿を現しました(写真①)。

 

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沖田ダムはもともと治水ダムであり,渇水時にはダムの貯留水を放流して河川水が枯渇しない働きを持っているということです。この夏は遂に通常の放流場所(写真②)からは流れなくなり,下の部分の補助水路から放流するのを初めて見ました(写真③)。

 

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ところが,昨日(9月20日)九州南部に上陸した台風16号による大雨は,ダムの水位を押し上げました(写真④)。写真の白く見えている部分まで,水が来ていたのです。①と④は同じ場所を写したものですので,渇水時との差を比べて,改めて自然の脅威を感じたところです。この夏の台風等により被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに,いち早い復興をお祈りいたします。

 

 

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卒業生も頑張っています

2016年9月15日

こんにちは。介護福祉コースの清水です。

 大学は9月25日まで夏休み中で、大学内は学生が少なくとても静かです。

 

いつもは学生の様子をブログに書くのですが、今回は夏休みということもあり卒業生との勉強会の話をしようと思います。

 

社会福祉学部では卒業生の清水を中心にOBOGが月1回、平日の夜、大学に集まり福祉についての勉強会をしています。延岡市で福祉の仕事をしている卒業生とのネットワークづくりを目的に発足して8年以上継続している勉強会です。

 

社会福祉士(ソーシャルワーカー)の仕事は、「人とのつながり」を創り出す専門家ともいえます。生活に困っている人々と支援する人や制度とつなげ、生活を豊かにしていく仕事です。

 

勉強会に参加する卒業生は、「卒業生の頑張っている姿を知ることで、延岡の福祉が向上しているのがわかる」、「福祉大の卒業生と知っているだけで仕事がしやすいし、声をかけやすい」、「大学に来ると初心に返れるので、やる気がでる」と話します。

 

 

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さて、今回の勉強会は、大学の日田剛先生にお願いして、「災害時におけるソーシャルワーク実践」というテーマでお話をいただきました。

 東日本大震災、熊本地震での現地調査を踏まえた災害時の福祉ニーズについての話を聞けたことで、災害への備えが必要だと改めて感じました。

 

OBOG勉強会で、大学の先生を招いた勉強会をするのは今回が初めてでしたが、卒業後も勉強会を通して知識を深め、新たなつながりを創ることができました。

 

在学生の皆さんにも、頼もしい先輩方が社会で頑張っていることを知ってもらえたらと思います。ではまた。

国際交流

2016年6月27日

 

6月1日 アメリカマイアミ大学の学生が5名九州保健福祉大学に来てくれました。

この5名は大学で日本語を学んでおり日本に研修にきているとのことでした。延岡で約1ヶ月すごし、その後京都、東京の観光をして帰国するとのことで、彼らの日本の印象は京都、東京、延岡という少々偏ったものになるかもしれません。延岡に滞在するのは引率の日本語教育の先生が延岡出身であり、地方にこそ本来の日本があると言う趣旨からだそうです。

その先生は磯貝先生といいますが、共通の友人を通して私に連絡があり交流会をすることになりました。

私のゼミ1,2,3年生と秋葉ゼミの1,2、年生が参加しました。彼らはすぐに打ち解け楽しい時間を過ごしました。その後学生たちはラインで連絡を取りあい、近くの温泉に案内したり、ファミリーレストランで食事したり、カラオケに行ったり、浜辺で花火としたりと、大学生らしいおもてなしをしたようです。

うちの大学生も延岡にいながらマイアミ大学の学生生活の様子を聞いたり、その生活スタイルに触れたりする貴重な時間だったと思います。

時代だなと思ったのが、お互い通じない言葉はスマホの翻訳機能を使いこなし、ほぼ自由に意思の疎通を図っていたことです。

彼らはますます日本大好きになって帰国したことと思います。

写真は大学の講義室での交流会の様子です。

山﨑きよ子

 

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障害者支援施設「はまゆう園」運動会にボランティアで参加!!

2016年6月14日

6月4日に臨床福祉学科14名(1年生 1名、2年生 3名、3年生10名)がはまゆう園の運動会にボランティアとして参加しました。

今日は、その時の様子や参加学生の感想をお伝えしたいと思います。

 

3年生 仮屋君

初めて運動会のボランティアに参加して感じたことは、利用者のみなさんの笑顔と元気で、活発に自由に競技に出場している姿でした。社会福祉現場実習に行った時には、利用者の行動に圧倒されてどのように動けば良いのか戸惑いましたが、運動会では自分の役割もわかり自分自身も楽しく活動できました。

今考えると現場実習の前にこのような体験をしていればもっと障害の方の特性や施設の概要が理解でき、実のある体験実習になったのではないかと感じています。


 

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3年生 池野君

はまゆう園の運動会に参加してとても楽しかったです。利用者や職員、家族の方々が一体となって運動会を盛り上げている様子がとても印象的でした。

またボランティアとして自分たちの役割を十分に果たすことができ、とても充実した1日となりました。

 

3年生 竹中君

どの利用者もとても元気でした。障害物競争でフラフープをくぐる時など必死に走って、転倒したのを目の当たりにした時、一生懸命取り組んでいる姿が印象に残っています。

またそのような場面を見て、反対に多くの元気をもらいました。


 

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3年 中村君

障害者施設には行ったことがなかったので現場を見て、利用者と触れ合って運動会の活気に触れて、とても良い経験になりました。

 

 

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3年生 時松君

利用者の皆さんはとても元気で、ボランティアで参加した自分も元気を頂きました。

楽しい1日でした。

沖田ダムの森の中を歩きながら(1)

2016年5月30日

 

トイレの花子さん(10) 沖田ダムのこと
2015年8月18日

相変わらず,沖田ダムに通っています。


「トイレの花子さん(10) 沖田ダムのこと」 2015年8月18日付け

http://www.phoenix.ac.jp/faculty/social_welfare/cw_blog/entry/2015/08/002630.html

 

午前7時過ぎから830分頃まで,1周します。昨年の12月初めに膝に痛みを感じたため,今は急ぎ足で,約75分かけての一回りです。その間,色々なことを考えます。授業のことや,このブログのこと,今後の予定などのことです。

 

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ダムを訪れる人には常連さんもいます。その中に,母親と思われる年老いた女性を軽乗用車の助手席に乗せてやって来る男性がいます。その人の年齢は私と同じかひょっとした上かも知れません。小柄な女性は息子さんが見守る中,季節の花々を摘んで行きます。それは,完全に幼女を遊ばせている父親の姿と重なって行きます。「おはようございます」と挨拶を交わし,私は立ち去りますが,現在の福祉について思いを馳せます。老老介護や介護疲れによる心中や未遂など暗いニュースが多い中,あの母親と息子さんはどうなのだろうか?私が見る限りでは,息子さんは自分の幼女を遊ばせているような温かい眼差しでまさに見守っているという言葉がピッタリの雰囲気です。恐らくは母親もそして息子さんも幸福なのだろうなぁと思えてなりません。どういう境遇で生まれ育ち,どういう躾で子どもを育て上げれば,あのような親子関係を築き上げることができるのだろうかと思います。

『昭和萬葉集』巻18 の71頁に,津田百合江さんの作品があります。 

人生に二度の幼児期あると云ふ老いゆく日々の我や稚児(をさなご)

 まさに,あの母親は二度目の幼女期にあるのかも知れません。また,息子さんの家族構成は不明ですが,もし娘さんがいるとしたら,男性も第二の父親の気持ちになっているだろうと思います。 

 

3月下旬の『宮崎日日新聞』の経済欄に「レコード再生機 復活」という記事が出ていました。パナソニックがテクニクスのブランド名で,レコードプレイヤーを販売するという記事です。この見出しを見て,「再生機」という言葉に違和感を感じたのですが,それはレコードが非日常的なもの,特殊なものとなっているからかな,と思った次第です。レコードからCD,そして最近ではダウンロードやハイレゾなる言葉も聞かれます。 

私の家ではまだレコードが存在価値を持っています。レコードとCDの違いは,その操作の簡便さだと思います。例えば,ベートーヴェンの『第九』。無理してLPレコード1枚で発売されたものは,第3楽章の途中で裏返しにしなければなりませんし,余裕を持ったLPだと3面または4面ですので,それだけ針を降ろさねばなりません。それに比べると,CDに『第九』はきちんと収まっていますので手間いらずです(ところで,最初のCDの収録時間は『第九』が収まるようにということだったらしいですね)。ところで,このレコードからCDへの転換のおかげで,廃盤になって入手困難なレコードが再発売されています。その中には,足を棒にして中古のレコード店を探し回って手に入れたものもあります。また,若い頃はその良さに気づかなかった作品や貧しさ故に買えなかったものもあります。その一つが,デュークエイセスの『にほんのうた』です。宮崎県人にとっては,グループのリーダーが宮崎大宮高校出身の谷道夫さんであることや,「フェニックス・ハネムーン」などで有名なコーラスグループです。この『にほんのうた』シリーズは,全曲を永六輔さんが作詞,いずみたくさんが作・編曲を担当したもので,北海道が3曲,東京が2曲以外は,各府県1曲ずつの50曲から成ります。茨城県の「筑波山麓合唱団」,京都府の「女ひとり」,兵庫県の「別れた人と」,宮崎県の「フェニックス・ハネムーン」などがありますが,全国的に有名な作品はドリフターズがカバーした群馬県の「いい湯だな」でしょう。

 

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レコードは4枚で発売されました。私の記憶に間違いがなければ,1枚1500円でしたので,4枚で6000円です。この『にほんのうた』がCD2枚組では2000円少々ですので,レコードを買っていたら悔しい思いがしたかもしれません。しかし,全曲を聞いてみると、永さんの詞は軽妙洒脱な内容から,広島県の伝説の町や沖縄県のここはどこだなど,20165月の今日でも通用するテーマが描かれています。そして,永さんの詞を多面的多角的に音楽化したいずみさんの作・編曲の妙にただただ感心するばかりです。この作品を若い頃に聞いていたら,私の音楽の好みの傾向は変わっていただろうなと思います。特に,奈良県の奈良の鐘はいずみさんの天才ぶりが覗えて一聴に値すると思います。

このデュークエイセスのコンサートが宮崎で行われたのですが,残念ながら学位記授与式と重なり、聴くことができませんでした。ただ,NHK宮崎放送局が制作する地域ドラマ『宮崎のふたり』の挿入歌として使用されるということですので,再び注目されるかもしれません。

少々長くなりましたが,臨床福祉学科 長友道彦でした。

 

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