教員の活動

沖田ダムの森の中を歩きながら(3)

2016年11月17日

沖田ダムの森も,秋から晩秋の風景となりました。9月頃はイガグリや栗の実も落ちていて,今年は拾い集めて茹でて食べました。10月になると,キンモクセイが植えられている道沿いの甘い香りに例年のように郷愁を覚えました。また,これまでは殻だけ落ちていて注意を払わなかったものに,アケビがあります。甘い物に飢えていた時分には,時に口にしていたのがアケビです。散歩の途中,落ちたばかりのアケビを拾ったものが(写真1)です。

 

 

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50年ぶり位になるでしょうか,久しぶりに口にすると,ほんのりとした甘みがありました。しかし,黒い種もあり完食はできませんでした。昔は,これでも充分に甘く感じられたと思います。上を見上げると,枝に実をつけていました(写真2)。

 

 

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そのうちに,鳥たちの餌になり,殻だけが落ちてくるのでしょう。また,ムカゴを採っている人に出会ったこともあります。里山には,色々な食べものがあり,動物や鳥たちにとっても絶好の食糧の確保の場所になっていることを実感させてくれます。動物と言えば,猪の子どものうり坊は2~3回見かけましたが,先日は鹿らしきものを見かけました。以前,都農町に住んでいた頃の早朝,都農ワイナリーの麓で親子連れをはっきりと見たことがあるので,恐らく間違いないと思います。

 すっかり秋らしい風景となりました(写真3~写真5)。これから,落葉がすすみ,冬の風景に変わっていきます。

 

 

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そのようなダムの小道を歩きながら,思い出したことがあります。

 それは,60年を越える人生の中で,今でも忘れられない光景です。勤務していたある高校で目撃した場面です。1月中旬のある朝,SHRに行くために事務室前の玄関を通りかかった時,1人の女子生徒が玄関横の赤い公衆電話で,声を抑えながらも厳しい口調で話している声が耳に届きました。「駄目じゃないの,ちゃんと起きて学校へ行かなくちゃ!」。顔を見ると私が教科を担当しているSさんでした。不登校か,あるいはその傾向があり,高校受験を控えている弟に登校を促している内容でした。今,「高校受験を控えている弟」と書きましたが,これはその後で担任の先生に,見かけた光景を伝えた時に,担任から入手した情報です。こうした情報交換が,教育現場では重要なことであることは今も変わりません。その後,このことで彼女と話をしたり,大きく事態が動くこともなく,時は過ぎて行きました。

 後日談になります。その年の4月に私は他の高校に転勤になりました。夏休みの8月中旬に,担任していた女子生徒たち数名が訪ねて来てくれました。転勤後の学校のこと,進路のこと,そして友だちのことに話が咲きました。その中で,私から訊ねたのか,それとも彼女たちの誰かが「そう言えば…」という形で切り出したのか,判然としませんが,Sさんの名前が出ました。それは,私にとって衝撃的でした。「Sさんが大きなお腹を抱えてバスに乗っているのを見かけた」という内容です。聞けば,高校も退学したとのことでした。

 1月中旬の,必死に高校受験を控えた弟に登校を促している彼女の姿から,妊娠・退学した彼女の姿は簡単には想像することはできませんでした。1年足らずの間に,彼女の身に起こった事態を考えると,暗澹たる思いでした。自分にできることはなかったのか,今でも忸怩たる想いがあります。今,私にできることは,彼女(下の名前はR子さんです)が幸福に暮らしていること,生まれたであろう子どもさん(30歳を越えたくらいでしょう)も幸福であってくれたらなと願うことです。

 R子さん。今あなたがどういう境遇で暮らしているかわからないけれども,あなたの幸福を願っ ている人間が1人はここにいますよ…。

 

教師はこんな風に,何かの拍子に,思いがけない生徒の名前や顔を思い浮かべることがあるのです。

 

臨床福祉学科  長友道彦

沖田ダムの森の中を歩きながら(2)

2016年9月22日

ビール系飲料の消費量の伸びが思わしくないという報道もありますが,私は「とりあえずビール」ではなくて,「まずはビール」です。それも諸般の事情が許せば,SビールのYがあれば,何も言うことはありません。


  さて,その私が学生時代の夏休みに,京都は三条大橋に近いビルの屋上でビアガーデンのウェイターをやったことがあります。その中で記憶に残っている客がいます。
それは,20代後半のカップルでした。女性の方がリードしているのか,「生ビールの大と中。枝豆と……。」という注文でした。ビールと枝豆を持って,大を男性の方に,中を女性の方に置くと,女性が何も言わずに,ジョッキを入れ替えました。男は大,女性は中という私の先入観のなせる過ちでした。
トラブルには発展しませんでしたが,以後人間観察には留意するようになりました。

  次のような苦い思い出もあります。
雲行きの怪しい,今にも降り出しそうな天候は,ビアガーデン泣かせです。そのビアガーデンは京都でも名の知れた割烹が出していたので,提供しているメニューにも細やかな配慮がなされ,定番の枝豆も当日茹であげた物を提供し,余ったからといって翌日に回すことはしておりませんでした。
さて,そんな天候の思わしくない夜でしたが,何とか閉店時間が近づいてきました。翌日に残さないために,枝豆を多めに提供していました。ところが,閉店近いというのに,団体客が来てしまいました。当然枝豆の注文もありますが,その量は少なくならざるを得ません。テーブルに持って行きますと,案の定「たったこれだけ~?」という苦情を受けるのはウェイターの私たちでした。
内情を言うこともできず,「申し訳ありません」と頭を下げるだけでした。

  お酒が嫌いな方ではなく,冬でもビールの好きな人間が若いときに,ビアガーデンでアルバイトしたらどうなるのか?まさか,呑みながら仕事をすることはありません。ただ,時には仕事が終わった後,無性に呑みたくなるときがあります。そんなときは,河原町三条にあった(いまもあるのかな?)アサヒのビアホールで一杯だけ飲んで帰りました。そこは,殻付き落花生が無料サービスでした。
これを書きながら,「当時は缶ビールの自動販売機はなかったのかな?」とふと疑問が生じました。貧しい学生がビアガーデンのウェイターのアルバイト帰りですから,今だったら自販機ですよね。当時は,今ほど缶ビール等の自販機はなかったように思うのは気のせいでしょうか。

 

ところで,ほぼ毎日歩いている沖田ダムがこれまでにない光景を見せてくれました。7月から8月にかけてほとんど雨が降らなかったので,水位がどんどん下がっていきました。今まで見えていなかった地肌が姿を現しました(写真①)。

 

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沖田ダムはもともと治水ダムであり,渇水時にはダムの貯留水を放流して河川水が枯渇しない働きを持っているということです。この夏は遂に通常の放流場所(写真②)からは流れなくなり,下の部分の補助水路から放流するのを初めて見ました(写真③)。

 

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ところが,昨日(9月20日)九州南部に上陸した台風16号による大雨は,ダムの水位を押し上げました(写真④)。写真の白く見えている部分まで,水が来ていたのです。①と④は同じ場所を写したものですので,渇水時との差を比べて,改めて自然の脅威を感じたところです。この夏の台風等により被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに,いち早い復興をお祈りいたします。

 

 

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卒業生も頑張っています

2016年9月15日

こんにちは。介護福祉コースの清水です。

 大学は9月25日まで夏休み中で、大学内は学生が少なくとても静かです。

 

いつもは学生の様子をブログに書くのですが、今回は夏休みということもあり卒業生との勉強会の話をしようと思います。

 

社会福祉学部では卒業生の清水を中心にOBOGが月1回、平日の夜、大学に集まり福祉についての勉強会をしています。延岡市で福祉の仕事をしている卒業生とのネットワークづくりを目的に発足して8年以上継続している勉強会です。

 

社会福祉士(ソーシャルワーカー)の仕事は、「人とのつながり」を創り出す専門家ともいえます。生活に困っている人々と支援する人や制度とつなげ、生活を豊かにしていく仕事です。

 

勉強会に参加する卒業生は、「卒業生の頑張っている姿を知ることで、延岡の福祉が向上しているのがわかる」、「福祉大の卒業生と知っているだけで仕事がしやすいし、声をかけやすい」、「大学に来ると初心に返れるので、やる気がでる」と話します。

 

 

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さて、今回の勉強会は、大学の日田剛先生にお願いして、「災害時におけるソーシャルワーク実践」というテーマでお話をいただきました。

 東日本大震災、熊本地震での現地調査を踏まえた災害時の福祉ニーズについての話を聞けたことで、災害への備えが必要だと改めて感じました。

 

OBOG勉強会で、大学の先生を招いた勉強会をするのは今回が初めてでしたが、卒業後も勉強会を通して知識を深め、新たなつながりを創ることができました。

 

在学生の皆さんにも、頼もしい先輩方が社会で頑張っていることを知ってもらえたらと思います。ではまた。

国際交流

2016年6月27日

 

6月1日 アメリカマイアミ大学の学生が5名九州保健福祉大学に来てくれました。

この5名は大学で日本語を学んでおり日本に研修にきているとのことでした。延岡で約1ヶ月すごし、その後京都、東京の観光をして帰国するとのことで、彼らの日本の印象は京都、東京、延岡という少々偏ったものになるかもしれません。延岡に滞在するのは引率の日本語教育の先生が延岡出身であり、地方にこそ本来の日本があると言う趣旨からだそうです。

その先生は磯貝先生といいますが、共通の友人を通して私に連絡があり交流会をすることになりました。

私のゼミ1,2,3年生と秋葉ゼミの1,2、年生が参加しました。彼らはすぐに打ち解け楽しい時間を過ごしました。その後学生たちはラインで連絡を取りあい、近くの温泉に案内したり、ファミリーレストランで食事したり、カラオケに行ったり、浜辺で花火としたりと、大学生らしいおもてなしをしたようです。

うちの大学生も延岡にいながらマイアミ大学の学生生活の様子を聞いたり、その生活スタイルに触れたりする貴重な時間だったと思います。

時代だなと思ったのが、お互い通じない言葉はスマホの翻訳機能を使いこなし、ほぼ自由に意思の疎通を図っていたことです。

彼らはますます日本大好きになって帰国したことと思います。

写真は大学の講義室での交流会の様子です。

山﨑きよ子

 

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障害者支援施設「はまゆう園」運動会にボランティアで参加!!

2016年6月14日

6月4日に臨床福祉学科14名(1年生 1名、2年生 3名、3年生10名)がはまゆう園の運動会にボランティアとして参加しました。

今日は、その時の様子や参加学生の感想をお伝えしたいと思います。

 

3年生 仮屋君

初めて運動会のボランティアに参加して感じたことは、利用者のみなさんの笑顔と元気で、活発に自由に競技に出場している姿でした。社会福祉現場実習に行った時には、利用者の行動に圧倒されてどのように動けば良いのか戸惑いましたが、運動会では自分の役割もわかり自分自身も楽しく活動できました。

今考えると現場実習の前にこのような体験をしていればもっと障害の方の特性や施設の概要が理解でき、実のある体験実習になったのではないかと感じています。


 

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3年生 池野君

はまゆう園の運動会に参加してとても楽しかったです。利用者や職員、家族の方々が一体となって運動会を盛り上げている様子がとても印象的でした。

またボランティアとして自分たちの役割を十分に果たすことができ、とても充実した1日となりました。

 

3年生 竹中君

どの利用者もとても元気でした。障害物競争でフラフープをくぐる時など必死に走って、転倒したのを目の当たりにした時、一生懸命取り組んでいる姿が印象に残っています。

またそのような場面を見て、反対に多くの元気をもらいました。


 

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3年 中村君

障害者施設には行ったことがなかったので現場を見て、利用者と触れ合って運動会の活気に触れて、とても良い経験になりました。

 

 

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3年生 時松君

利用者の皆さんはとても元気で、ボランティアで参加した自分も元気を頂きました。

楽しい1日でした。

沖田ダムの森の中を歩きながら(1)

2016年5月30日

 

トイレの花子さん(10) 沖田ダムのこと
2015年8月18日

相変わらず,沖田ダムに通っています。


「トイレの花子さん(10) 沖田ダムのこと」 2015年8月18日付け

http://www.phoenix.ac.jp/faculty/social_welfare/cw_blog/entry/2015/08/002630.html

 

午前7時過ぎから830分頃まで,1周します。昨年の12月初めに膝に痛みを感じたため,今は急ぎ足で,約75分かけての一回りです。その間,色々なことを考えます。授業のことや,このブログのこと,今後の予定などのことです。

 

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ダムを訪れる人には常連さんもいます。その中に,母親と思われる年老いた女性を軽乗用車の助手席に乗せてやって来る男性がいます。その人の年齢は私と同じかひょっとした上かも知れません。小柄な女性は息子さんが見守る中,季節の花々を摘んで行きます。それは,完全に幼女を遊ばせている父親の姿と重なって行きます。「おはようございます」と挨拶を交わし,私は立ち去りますが,現在の福祉について思いを馳せます。老老介護や介護疲れによる心中や未遂など暗いニュースが多い中,あの母親と息子さんはどうなのだろうか?私が見る限りでは,息子さんは自分の幼女を遊ばせているような温かい眼差しでまさに見守っているという言葉がピッタリの雰囲気です。恐らくは母親もそして息子さんも幸福なのだろうなぁと思えてなりません。どういう境遇で生まれ育ち,どういう躾で子どもを育て上げれば,あのような親子関係を築き上げることができるのだろうかと思います。

『昭和萬葉集』巻18 の71頁に,津田百合江さんの作品があります。 

人生に二度の幼児期あると云ふ老いゆく日々の我や稚児(をさなご)

 まさに,あの母親は二度目の幼女期にあるのかも知れません。また,息子さんの家族構成は不明ですが,もし娘さんがいるとしたら,男性も第二の父親の気持ちになっているだろうと思います。 

 

3月下旬の『宮崎日日新聞』の経済欄に「レコード再生機 復活」という記事が出ていました。パナソニックがテクニクスのブランド名で,レコードプレイヤーを販売するという記事です。この見出しを見て,「再生機」という言葉に違和感を感じたのですが,それはレコードが非日常的なもの,特殊なものとなっているからかな,と思った次第です。レコードからCD,そして最近ではダウンロードやハイレゾなる言葉も聞かれます。 

私の家ではまだレコードが存在価値を持っています。レコードとCDの違いは,その操作の簡便さだと思います。例えば,ベートーヴェンの『第九』。無理してLPレコード1枚で発売されたものは,第3楽章の途中で裏返しにしなければなりませんし,余裕を持ったLPだと3面または4面ですので,それだけ針を降ろさねばなりません。それに比べると,CDに『第九』はきちんと収まっていますので手間いらずです(ところで,最初のCDの収録時間は『第九』が収まるようにということだったらしいですね)。ところで,このレコードからCDへの転換のおかげで,廃盤になって入手困難なレコードが再発売されています。その中には,足を棒にして中古のレコード店を探し回って手に入れたものもあります。また,若い頃はその良さに気づかなかった作品や貧しさ故に買えなかったものもあります。その一つが,デュークエイセスの『にほんのうた』です。宮崎県人にとっては,グループのリーダーが宮崎大宮高校出身の谷道夫さんであることや,「フェニックス・ハネムーン」などで有名なコーラスグループです。この『にほんのうた』シリーズは,全曲を永六輔さんが作詞,いずみたくさんが作・編曲を担当したもので,北海道が3曲,東京が2曲以外は,各府県1曲ずつの50曲から成ります。茨城県の「筑波山麓合唱団」,京都府の「女ひとり」,兵庫県の「別れた人と」,宮崎県の「フェニックス・ハネムーン」などがありますが,全国的に有名な作品はドリフターズがカバーした群馬県の「いい湯だな」でしょう。

 

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レコードは4枚で発売されました。私の記憶に間違いがなければ,1枚1500円でしたので,4枚で6000円です。この『にほんのうた』がCD2枚組では2000円少々ですので,レコードを買っていたら悔しい思いがしたかもしれません。しかし,全曲を聞いてみると、永さんの詞は軽妙洒脱な内容から,広島県の伝説の町や沖縄県のここはどこだなど,20165月の今日でも通用するテーマが描かれています。そして,永さんの詞を多面的多角的に音楽化したいずみさんの作・編曲の妙にただただ感心するばかりです。この作品を若い頃に聞いていたら,私の音楽の好みの傾向は変わっていただろうなと思います。特に,奈良県の奈良の鐘はいずみさんの天才ぶりが覗えて一聴に値すると思います。

このデュークエイセスのコンサートが宮崎で行われたのですが,残念ながら学位記授与式と重なり、聴くことができませんでした。ただ,NHK宮崎放送局が制作する地域ドラマ『宮崎のふたり』の挿入歌として使用されるということですので,再び注目されるかもしれません。

少々長くなりましたが,臨床福祉学科 長友道彦でした。

 

田中ゼミで新入生歓迎会を開きました!

2016年5月25日

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みなさん、新年度も2か月が過ぎようとしていますが、いかがお過ごしでしょうか。

宮崎は暑くなり、初夏の様相です。

本学では新入生も少し慣れて落ち着いたようです。


臨床福祉学科の新入生歓迎会に続き、

田中ゼミでも新入生歓迎会を開きました。

  

田中ゼミでは、新入生歓迎会(通称:新歓)と

4年生の追い出し(!)コンパ(通称:追いコン)は

田中ゼミの1~4年生約20名で行います。

 

幹事はいつも2年生です。

延岡のいろんなお店でやらせていただきますが、

お店を決めたり、席順を決めたり、

どんなふうに進めるかは幹事のお仕事です。

 

今回は、イオン多々良店の敷地内にある

お寿司屋さんになりました。

もちろん食べ放題コースです。


新入生は、先輩たちから授業やテストのことから

先生たちの噂話まで(!)、教えてもらっていました。

 

大学生活が楽しくなるのは、自分次第です。

いろんな人に出会いながら、

いろんなことにチャレンジしてほしいと思います。

 

文責:田中陽子

MSWという職業

2016年2月 4日

皆さんはMSWという職業をご存じですか?メディカルソーシャルワーカーと言って医療の現場で働く社会福祉専門職のことです。

社会福祉と言うと、施設などの福祉の現場で働くことをイメージしがちですが、多くの福祉専門職は医療の現場で働いています。

医療の現場で働く福祉専門職はどんな仕事をしているのでしょう?それは、患者さんの生活を支える仕事です。具体的な例で説明しましょう。

あるMSW(仮名さくらさん)の仕事を紹介しましす。

さくらさんは、ガン(悪性腫瘍)を診断したり、治療したり、あるいは亡くなるまでに痛みや苦しみを取るための病院で働いています。

その病院では、若い人でもガンが発見される場合があります。まだ小さな子供のいるお母さん(仮名あやめさん)にガンが見つかりました。

ほとんどの場合、まずお母さんが考えることは「子供をどうしよう」ということだそうです。「これからの治療に向けて子供をどこに預けるか、だれが面倒を見てくれるか?」あやめさんがもし母子家庭だったら事態はより深刻ですよね。ガンに蝕まれているという身体の問題と、今まで通りの生活ができなくなると言う生活の問題を抱えてしまいます。お金はどうするのか、仕事はどうするのか。病気になったことと同じくらいその悩みは深いと思います。

体は医師など医療専門職が治します。MSWさくらさんの仕事は、生活の部門の悩みに対応することです。

あやめさんが子供と離れて治療を受けなければならない辛さ、自分や家族がこれからどうなっていくのかという不安など、そのような感情を受け止め、サポートしていきます。感情のサポートだけではありません。医療費助成制度や子供を一時的に預かってくれる施設等の社会保障制度についての知識を活かして、助言もします。もし身体機能の一部を失い、日常生活動作(ADLと言います)ができなくなればそのための支援、住宅改修や車いすの手配なども必要です。MSWさくらさんはそのためにもいろいろな役所や業者と連絡し合って、あやめさんの生活を支えていきます。これがMSWさくらさんの仕事です。

その他MSWの仕事は、この前まで放映されていたテレビドラマ「コウノドリ」にも少しだけ出ていました。気が付きましたか?そこではMSWは望まない妊娠で生まれた赤ちゃんを誰がどこで育てるかに関わり、出産したお母さんもサポートしていました。障害を持って生まれた赤ちゃんと家族へのサポートもします。

また高齢者の退院支援や転院(他の病院に移る)支援をします。介護が必要になる高齢者を支える最前線の仕事です。

今の日本は少子高齢化や家族規模の縮小と言った社会的現象が起きています。昔なら家族で相談、解決していた問題が相談できる人がいなくなっています。それに代わって今後活躍がますます期待されるのがソーシャルワーカーです。

先週末、MSWの初任者研修の講師をしてきました。本学出身者もいて「大学で授業をうけているみたい。」という研修になりました。実際この写真のような演習を授業で行っています。この方たちはすでに資格を取りプロとして働いているのですがこうやってされに自分の力を上げるためにさらに勉強しているのです。7人中6名が本学出身でうち3名は通信教育部で働きながら資格を取ったそうです。残る1名も本学の姉妹校の吉備国際大学出身でした。

彼らの熱心で真摯な態度から、本当に患者さんのためになりたい強い気持ちが伝わってきました。

山﨑きよ子

 

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卒業生

2015年10月27日

10月24日、私は山﨑ゼミ卒業生のM君の結婚式に出席しました。私たちの席には大学時代の仲間が招待されており、卒業後7年目の同窓会の様でした。井上先生も招待されており、学生の卒業後の成長に眼を細めておられました。

 同じテーブルを囲んだ同窓生はそれぞれの人生を歩んでいました。福祉現場で活躍しているばかりでなく、製造業の会社員や、金融機関に勤めていると言う卒業生もいました。

 私は、「九州保健福祉大学で福祉を学んだことは、今の人生に意味があったか。」といったような質問をしてみました。

 製造業で働く彼は、「自分の職場には多くの障害者の方も働いています。そのような方の相談にのったり、また職場のバリアフリーについて上司から質問されたりします。福祉の大学をでていると福祉に詳しいと思われるので、自分も一生懸命考えながら質問に答えるようにしています。」とのことでした。また金融機関に勤める卒業生は「特殊詐欺の被害者は多くが高齢者です。自分たちはそのような被害にあわないように日々気を配って仕事をするように指導されています。また認知症サポーター教育等も職場では実施され、自分はそのようなことを理解しやすいので、福祉の大学を出たことは今の仕事に大変プラスになっている。」と答えてくれました。そしてもちろん福祉の現場で働く卒業生たちは「大学で学んだことは現場で生きている。」とのことでした。

 さらにみんなが口をそろえていってくれたのが、「福祉のこころを持って進学してきた仲間と知りあえ、もう10年以上もこのように親しくしている。一生の友人を持てたことが最も九州保健福祉大学に進学してよかったことだった。」とのことです。

手前味噌になりますが、こんなことを言ってくれた卒業生がいました。「僕は小学校、中学校、高校まで親しい友人ばかりでなく、親身に相談できる先生もいませんでした。どちらかというと先生には距離感がありました。だけど大学では親しく接してくれる先生が大勢いていろいろな話をたくさんしました。大学の先生が自分の中では一番身近です。大学に進学してそれもよかったと思っています。」

ちなみに彼らはもっともイケメン?の一人を除いて全員結婚しているそうです。

卒業以来7年ぶりの再開でしたが、本当にうれしく思いました。

もちろん、M君とお嫁さんは最高に素敵なカップルでした。これからも末永い幸せをお祈りします。

 

 

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国立療養所星塚敬愛園の見学に行ってきました!

2015年10月21日

9月16日、ゼミ活動の一環として、国立療養所星塚敬愛園の見学に行ってきました。皆さん、星塚敬愛園をご存じですか?

 

星塚敬愛園は全国に13か所あるハンセン病療養所のひとつです。星塚敬愛園の入所者は昭和18年に最多の1,347名にのぼりましたが、現在は、159名の入所者の方々が生活されています。

 

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入所者の方々は、らい予防法や優生保護法により社会から隔絶され、子孫を残すことを絶たれ、これまで過酷な人生を歩んでこられました。しかし、今回の見学でお話しを聴かせてくださった入所者の方は、「今、とても幸せ。職員の方々もとてもよくしてくれる」と語ってくださいました。そのことに加え、幼いころ、何も知らずに療養所に連れてこられたことや、死ぬまで療養所で生活しなければならないというあまりにも重い現実に向き合わなければならなかった過去も語ってくださいました。

 

ごく普通の生活を送っておられた方がある日突然ハンセン病を患ったことにより、これまで想像もしなかったか過酷な人生を歩まざるを得なかったこと、また、そのなかで必死に生きてこられたことを知ることにより、私は「私たち人間のもつ強さや弱さ」を改めて考えました。そして、全ての人が人として尊重され、自分らしく生きることができる世の中であること、さらに、そのような世の中を守り築いていかなければならないことを痛感しました。

 

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学生の感想

  私は今回、鹿児島県にある星塚敬愛園の利用者さんにお話を伺う機会をいただきました。お話を聞いた利用者さんは、幼少期から星塚敬愛園に入所されていると聞いていたので、内向的で口数の少ない方だと勝手な想像をしていたのですが、実際にお会いしてみるととても気さくな方で笑顔が絶えない、そんな印象を受けました。お話の中ではこの療養所に来た経緯や戦時中の話、当時の治療の事などを話していただきました。その中で私が一番印象に残ったのは、1949年に制定された「優生保護法」により、ハンセン病患者は強制的に断種・堕胎が行われたというものです。ハンセン病は感染症であり、決して遺伝病ではないので例え子どもができたとしても、その子どもがハンセン病で産まれてくるわけではありません。しかし、政府は収容所に患者を強制的に送り込み、子孫を絶ち、患者が死にゆくのを待つ『患者撲滅』を目的とした政策をおこなっていました。そのため、国民に誤った認識を与え、差別・偏見を強く植え付けてしまいました。子どもを授かりたくてもできない、妊娠したとしてもおろさなければならなかったという過去を知りました。このようなお話を聞き、どれだけ国の対応が悲惨であったか、国民の差別・偏見が酷かったか改めて学ぶことができました。また、施設内の見学もさせていただきました。郵便局や売店、理容室など様々な施設があり、園内だけですべてが完結できる、ひとつの町のようでした。多種多様な施設があることから、一度隔離されると生涯外には出られないという過去があったことを痛感しました。今回このような機会をいただいて多くのことを学ばせていただきました。お世話になりました施設職員、施設利用者の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。私も今回お話をしてくださった利用者さんのように世の波に負けないよう、力強く生きていきたいです。

 

今回、星塚敬愛園を見学したことで、元ハンセン病患者の人たちがどれだけ酷い目にあってきたのか、その時の体験談や資料、映像を通して学ぶことが出来ました。そして学んだことであまりにハンセン病に対して無知であったと思いました。とても貴重な時間の中で大切な学びが出来ました。

入所者の方のお話しから昭和時代の差別的で、かつ非人道的な待遇や戦時中に起こった悲劇など当時の様子を詳しく優しく教えていただきました。当時の様子を知っている方々は高齢化によりお話を伺うのが困難になってしまった方や当時のことを思い出してしまうから話したくない方がいらっしゃる中で今回、お話しをしてくださった入所者の方のお話はとても貴重で有難いものでした。

  資料や映像を見たことで、更にハンセン病に過去かかっていただけの普通の人たちが何故あんなにも国公認で差別的な扱いを受けていたのか憤りを感じました。子どもを産んで夫婦で育てるという当たり前のことやそれ以上に産むことさえ許されず「恥さらし」とまで呼ばれ同じ女性として胸が痛みました。同じ立場に立ったら、更に逆の立場であったらどのようにしていたのだろうかと考えました。

  今回の見学で無知であった部分は減らすことが出来たと感じています。更に文献を読んだり学びを進めたりすることで更なる理解を深めようと決めました。

 

私は、らい病という病気のことを全く知りませんでした。今年の夏に大学のゼミと言うことも兼ねて一度見学しに行った感想は、様々な病気があるなかでもハンセン病「らい病」がたくさんの人々に恐怖心を抱かせており、私も実際のところ少し不安を抱えた状態で鹿児島の星塚敬愛園に見学に行きました。

今回お話しを伺った元患者の入所者の方は90歳にもなる方で、ですが全く衰えもなく元気なお年寄りだなって思ったのが正直な感想でした。確かに、顔や手足などは末しょう神経を病原菌により不自由な部分はあるけれど、私は普通に話もでき笑えていられる入所者の方を見ていて、なんだかとても落ち着いていて、安心して話ができたと思います。しかし、私が一番許せないのが政府の考えでした。 なぜなら、ハンセン病の患者さんたちはこういった病原菌にかかりたくてかかったのではないのに、そういう患者がいる事を国同士の関係などで、その人達を隔離させ施設に入れさせておき、その人達の一生の人生を奪うことは誰であっても許されることではないと思います。

  入所者の方のお話を今回聞けたことで自分の置かれている立場などが少しわかった気がしました。 最後に入所者の方が言ってくれた言葉はしっかりこれから生きていくために、生かしていきたいと思いました。

 

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以上、星塚敬愛園見学のご報告でした。入所者の方々、施設スタッフの皆様、貴重なお時間、お話をいただき誠にありがとうございました。今後とも、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 臨床福祉学科 西田美香

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