生誕250年

2020年が始まりました。今年は、何と言ってもオリンピックが話題になっています。また,恒例の箱根駅伝も100年という節目が放送されていました。節目ということでは,私が崇拝するベートーヴェンの生誕250年にあたります(1770年12月17日~1827年3月26日)。今から50年前は当然ながら,生誕200年記念と銘打った大全集が発売されていました。と書きましたが,当時それを実感していた訳ではありません。なぜならば,今振り返って見ると私にとって当時のベートーヴェンの存在は今ほど大きな絶対的なものではなかったことに思い当たります。

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50年前は,大阪万博が開催された年です。三波春夫さんが♪1970年の こんにちは~♪と歌っていました(生誕200年が万博,250年がオリンピックと不思議な暗合ですね)。当時私は高校2年生でした。高校3年で大学受験に失敗し,3浪もしてしまいました。特に,2浪目の受験では入試に手応えを感じ,浪人中の下宿を引き払い駅留めで荷物を発送する準備を整えて合否電報を待ちましたが,結果は不合格でした。今年こそはという希望があっただけに,落胆・絶望・失意…の状態でした。そういう状態の時に出会ったのが,ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』でした。

ロランがベートーヴェンをモデルに描いた大作です。私が読んだのは,新庄嘉章訳の新潮文庫版(全4冊 写真1)でしたが,主人公ジャン・クリストフ(ベートーヴェン)の生き方に圧倒されました。新しい力が湧き起こるとともに,自分の将来に対する見方にも変化が生まれました。人の生き方に対する興味関心が強くなっていきました。当初希望していた学部は最後まで受験しましたが,歴史を学べる学部も受験して結局そこに落ち着くことになりました(第一志望学部は一期校・二期校含めて10戦全敗でした)。  

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この過程の中でベートーヴェンは,自分を蘇らせてくれた存在として大きなもの絶対的なものとなりました。最初に買ったレコードの全集がカラヤン指揮の交響曲全集でした(写真2)。辛い時や力・勇気が欲しい時は第3番「英雄」や5番「運命」・7番といった作品,心に癒やしが欲しい時は偶数番の曲を聴いていました。「第九」はそれらを超越する傑作です。その後,他の作品や演奏者のレコードを聴くようになり,現在に至っています。ベートーヴェンの存在が,ベートーヴェンの音楽があったからこそ,私は人生を何とか前向きに生きてこられたと思っています。だからこそ,前職を退いた時,ウィーンの彼のお墓にお礼に行ったのは当たり前のことだったのです(学科ブログ 2014年⒓月10日 「トイレの花子さん4」)。(ちなみに長女の名前は「第九」第3楽章,次女は「悲愴ソナタ」の第2楽章に触発されました。)

生誕250年を記念したCD全集(123枚組や85枚組)が発売されるようです。今買っても,聞き終えることもないだろうし,既に所持しているものと重複しているので,今回は買いません。もう少し若ければ,絶対に買うでしょうね。

節目の年と言えば,私たちの夫婦も⒓月で結婚40年を迎えます(ルビー婚とか言うそうですね)。 今年が良い年になりますように。

臨床福祉学科 長友道彦でした。

読書の冬休み

新年が明け、今週から後期の授業が再開です。といっても2週間後には定期試験が始まるので、あとひと月もすれば春休みです。ただ、4年生は社会福祉士・精神保健福祉士・介護福祉士の国家試験を控え、2・3年生の一部の学生は学外実習や実習に向けた体験学習があります。学生諸君は、年度末まで忙しい日々を過ごしています。

 

さて、今年度をもって臨床福祉学科をご退官される先生から、「もうしばらく教育の仕事に携わるでしょうから、参考にしてください」と年末に1冊の本をいただきました。今年の冬休みはその本を読んで過ごしました。

 

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加藤秀俊『独学のすすめ』文春文庫

 

1978年(昭和53年)に発行された本ですが、教育・研究に取り組む姿勢を考える上でとても参考になりました。そのなかでもとくに感銘を受けた部分を3つ紹介します。

 

①「「教育」というものの基本的な目的と意味は、ひとりひとりの個人に、人生に対する意欲をつちかうことにある。意欲ある人生を送ることのできる人間――そういう人間をつくることが教育の使命なのである。」(p.41)

 

20年以上、大学で学生の教育に携わってきましたが、最近は教えることばかりを考え、学生の意欲を高める意識が薄らいでいたように思います。「意欲を高める教育」を再認識させてもらいました。

 

 

②「自分のしごと、ということは、とりもなおさず、自分という存在のまわりに境界線をつくることだ。わたしのやることはここまで、ここから先はあなたのしごと――そんなふうに、生活のなかには、しごとの境界線がつくられている。しごとは「個人」と密着した「義務」になる。」(p.118)

 

これは文中の引用の言葉でした。この文章だけでは分かりにくいですが、要は「やるべきことを「仕事」と意識してしまうと、自分の担当部分しか取り組まなくなる」ということです。この意識が強いと、急な用事を頼まれたときに「なぜ、自分がしないといけないのか」という気持ちになってしまいます。「仕事」と境界線を引かず、自分のできることには積極的に関わるという気持ちで臨みたいと思いました。

 

 

③「学問とか知識とかいうものは、じっさいは茫洋(ぼうよう:広々として限りのない)としていて、どこにも境界線なんか、ありはしない。 ―中略― 切りわけられたひときれの羊カンを「学問」だと思いこみ、その「専門」にみずからを閉じこめてしまうのは、学者として、とんでもないカンちがいだ。」(p.184)

 

私は大学で建築学の勉強をしていたので、九保大で教育や研究をしながら「福祉は自分の専門ではない」と思っていた自分が、この一文を読んで恥ずかしくなりました。学ぶことに専門かどうかは重要ではない。学びたいことを学べばよい。最も基本的なことに気づくことができました。

 

20年以上も教育・研究に携わっていて、今頃、このようなことに気づき、とても恥ずかしい思いもありますが、この本に出合えて本当に良かったと思いました。

 

 

もっとたくさんの本を読み、学生たちにも「読んでよかった」と思ってもらえる本を紹介していきたいです。

臨床福祉学科 三宮 基裕