『宇宙戦艦ヤマト』と『第九』

新型コロナ・ウイルスの感染に終息の兆しが見えません。1月のブログ『生誕250年』の時点では,オリンピック・イヤーなどと書きましたが,延期されました。今考えると「脳天気」だったと反省しております。前回案内した学科のイベントも実質的には見送らざるを得ませんでした。大学での大きな儀式である学位記授与式(卒業式)も入学宣誓式(入学式)も中止を余儀なくされました。さらに,授業も当初の予定は,4月7日からでしたが,4月20日へ延期,さらに連休明けの5月7日へ再延期されております。そして,通常の対面授業が困難になった場合を想定して,「遠隔授業」の準備も進められております。

「春の選抜高校野球」をはじめとして,高校生たちの全国大会,アスリートたちの大会も軒並み中止・延期となっています。無観客でのプロ野球オープン戦・大相撲の春場所は普段は歓声で聞き取れない雰囲気が味わえるという声もありましたが,やはり選手・力士と観客の関係は相乗効果があるのではないかなぁと思って眺めていました。当然新聞のスポーツ欄も記事不足で,過去の話題となった出来事で編成する苦労が覗えます。

今回の新型コロナ・ウイルス問題に関して,音楽好きの一人として,残念な悔しい思いをしました。4月29日に福岡市で『宇宙戦艦ヤマト』の交響曲と組曲の演奏会(チラシ写真)が予定されていたのですが,中止になってしまいました。

 

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交響曲は,故羽田健太郎氏が宮川泰氏のテーマを元に4楽章で作曲し,最終楽章はピアノとヴァイオリンの協奏曲風に仕上がっております。レコードでは聴いたことがあるのですが,生の演奏会を楽しみにしていただけに,まさに「コロナの奴め~」というところです。そう言えば,アニメの『宇宙戦艦ヤマト』は地球の危機を救うために宇宙に旅立っていったのではなかったかな?ちょっと皮肉な結果になってしまいました。

しかし,今新たな不安が頭をかすめています。それは,今年はベートーヴェンの『第九』を生で聴けるだろうか,ということです。合唱団の並びやオーケストラの配置は3密の2つに該当するし,ホールも密閉状態に近いかも知れません。練習時間のことを考慮すれば,心配です。

何とか,年末には高らかに歌い上げられる『第九』を楽しみたいものです。

コロナ・ウイルスの早期終息を祈りながら。臨床福祉学科 長友道彦でした。

「ソーシャル」という言葉

新型コロナウィルス感染拡大を受けて、最近ニュースで「ソーシャルディスタンス」という言葉を目にします。「社会的距離」と訳されるようで「人と人との間に距離を取る」ことを意味するようです。

PRESIDENT Online 「海外では当たり前「ソーシャル・ディスタンス」はなぜ日本で守られないか」 2020/4/17付け https://president.jp/articles/-/34660

 

正確な情報かどうか確認していませんが、YAHOO知恵袋を見るとアメリカではSocial distancing または Physical distancing と呼ばれこれが「対人距離」を表す言葉だそうで、Social distance では、人種、性的思考、階級など社会的な(グループとの)距離、という意味で用いられるそうです。

また、別の方のコメントでは「最近ソーシャルネットワーク(SNS)という用語が世界的に大流行?しているので、おそらくsocialという言葉が、誰にでもわかる言葉として使われたのでしょう。」とありました。たしかに、スマートフォンが普及してからSNSという言葉を日常的に聞きます。

その他、ソーシャルがつく言葉として、ソーシャルエンジニアリング (social engineering)、ソーシャルドリンカー (social drinker)、ソーシャルビジネス (social business)、ソーシャルマーケティング (social marketing)などもあるようです。

 

ふと、「”social”を ”社会的”と訳したとき日本ではどうなのだろう?」と考えてみると、日常的に使う「社会的〇〇」という言葉はすぐには思いつきませんでした。英語では「ソーシャル」という言葉はなじみ深いものなのだと感じました。

 

「ソーシャル」がつく言葉の一つに「ソーシャルワーク (social work)」があります。

日本語訳として「社会福祉」と訳されることが多いですが、意味することが厳密に認識されていないような気がします。
「社会福祉」と聞くと「困っている人々への支援」という意味で主に障がいや高齢者などが対象として理解されがちですが、本来は、その対象はすべての人びとであり、その活動は支援だけでなく社会に働きかけていくことも含んでおり、「人が集団のなかででより良く生きるための活動」といった意味なのだと思います。

すべての人が分け隔てなくより良く生活できる。そんな社会を実現するために活動するのがソーシャルワーカー(social worker)なのでしょう。

 

本学で福祉を学ぶ学生諸君に「ソーシャルワーク (social work)」が意味する本質について問いかけ、深く考えるきっかけを作ってあげようと思います。

 

臨床福祉学科 三宮基裕

「時流」に流されない

新型コロナの影響で、本学の講義開始は4月20日からです。

たくさんの期待を持って新入生が入学してくれましたが、大学の楽しさを実感するには、しばらく時間がかかりそうです。

 

最近読んだ2冊の本のなかで、同じ言葉が出てきました。それは「時流」という言葉です。

「時流」とは、「その時代の風潮・傾向」という意味です。

 

1冊目の本のタイトルは『時流に反して』(竹山道雄、文藝春秋、1968)というもので、以前、このブログ※で紹介した先生にいただいた本です。

 

※ 臨床福祉学科ブログ 『読書の冬休み』2020年1月7日

 

第二次世界大戦中から戦後の筆者の体験や、当時の政治や世論の考えなどが記されたもので、「なぜ人々は戦争へと突き動かされたのか」ということが述べられていました。戦争など誰もしたいわけがありません。せざるを得ない状況が当時にはあり、世論も疑問を持ちながらもその時代を生きたのだと感じました。

 

2冊目は『天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』(中村哲、NHK出版、2013)です。中村哲さんは福岡出身の医師で、30年以上アフガニスタンで活動しました。先生は、医療活動をするなかで水と食料不足が根本的な問題であることに気づき、医師でありながら独学で河川工事の技術を学びました。そして地元住民を指揮し、沙漠に水を引き農地を復活させ、安定した水の供給と自給自足の生活を実現しました。残念ながら昨年の2019年12月に現地で銃撃にあい亡くなられました。

この本の終章に日本の人々に対するメッセージが書かれていて、その一説に「時流」という言葉が出てきました。

「変わらぬものは変わらない。江戸時代も、縄文の昔もそうであったろう。いたずらに時流に流されて大切なものを見失い、進歩という名の呪文に束縛され、生命を粗末にしてはならない。」(pp.245-246)

経済中心で目まぐるしいスピードで進む時代のなかで「本当に大切なものは何か」ということを問うているように感じます。

 

 

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1968年と2013年という半世紀近くも離れた書物から「時流」というキーワードの重なりをみて、周りの雰囲気に押されて無考えにならず、今、起きていることじっくり考える大切さを学びました。

 

これから日本はますます少子高齢化が進みます。また、多様性が広く認識され、いろいろな価値観を持つ方と接することになるでしょう。

臨床福祉学科の学生には「時流」に流されず、これからの福祉社会を考える学生に成長してもらいたいです。

 

三宮 基裕