マスクづくり

6月1日からやっと対面授業になり大学の景色もにぎやかなキャンパスに戻りつつあります。

さて、先日久しぶりに1年生と会い学科全員(教員も)でマスク作りを経験しました。まだまだマスクが不足しているなかで、1枚でも多くのマスクを優先されるべき医療機関や福祉士施設に届けて欲しいという願いもあり自分マスクを作成しました。

最初は、慣れないミシンを使っての縫製作業でしたが個々で選んだ布で出来上がったマスクを見て、皆さんとても嬉しそうでした。

 

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今回の新型コロナ禍で、今まで当たり前だと思っていた日常に変化が生じ正直、戸惑いを感じています。

例えば、レジでの金銭のやり取りを直接行わず、トレイに入れることです。先日、スーパーに行った際、店員さんがおつりをトレイに入れ、高齢の方が小銭をトレイから取り出していました。しかし手先が不自由でなかなか小銭を掴めず苦労されていました。

また新聞の投稿欄には、耳の不自由な方が職場で同僚がマスクをしているため相手の口元が見えず、何度も聞き返しているという記事を読みました。

ついつい見過ごされそうな日常の中から、他人事ではなく自分事として様々な視点で物事を見る目や心を持つことはとても大切だと思います。

社会生活が大きく変化するなかで、誰もが「普通の暮らし」を送れるような日々を目指さなければならないということを痛感しています。

 

これからもコロナに負けないように頑張りましょう!!

                                                                                                                                                                                                          貫 優美子

人の気持ちに寄り添う

本学も6月1日から対面授業が再開しました。久しぶりに学生が行き交い賑わうキャンパスをみて、少しほっとしました。このまま感染が終息に向かってほしいです。

 

6月2日付の朝日新聞朝刊に、福祉を学ぶ意味を考えさせてもらえる投書があったので紹介します。

 

高校生が書いたもので「わたし流「出張デイサービス」」というタイトルでした。

内容は、新型コロナウイルスの影響による休校中、母に「何かしたら?」と言われて、隣家に住む一人暮らしのおばちゃんの家に「出張デイサービス」に行くというものでした。

普通、デイサービスといえば、利用者がデイサービスセンターに通所し食事や入浴、レクリエーションなどをして過ごします。在宅サービスのなかでも中心的な役割を担っている福祉サービスです。それをヒントにして、彼女の方からおばちゃんの家に出向いていき、楽しい時間を過ごしてもらおうと考えたようです。中学生になってから会う時間が減っていたので毎週月曜日に2時間通い、2人で話をしたりゲームやクイズをして思いっきり笑って過ごしました。最後のデイサービスの日におばちゃんが「とても楽しかった。ありがとう」と言ってくれたことで、「学校生活以外にも自分のやれることがあるんだ」という言葉でこの文章を結んでいました。この投書の中で最も考えさせられたのは、次の部分でした。

 

おばちゃんは先週2人でやったことを覚えていない時があって、少し怖かった。なんて声をかければいいか悩んだけど、笑いながら「先週もこれ、やったよ」などと伝えた。忘れたら、何回も言えばいい。

 

この「怖かった」という部分に福祉を学ぶ大きな意味があるような気がします。物忘れのあるおばちゃんをみて、「経験したことを忘れる恐怖」「おばちゃんのこれからの生活に対する心配と不安」「かわいがってくれている私のことも忘れてしまうのではないのかという悲しみ」、いろいろなことを考えた結果の「怖かった」なのかもしれません。

臨床福祉学科で福祉を学んだ学生には、本人だけでなくご家族・ご親族など関わりのある方々にも寄り添い、それぞれの心の中にある思いに気づける人に成長してほしいです。

 

臨床福祉学科 三宮基裕