大学教育における教養教育の大切さについて

「私は〇〇を勉強しに行くんだから、××なんて科目は関係ない」

「私はここで□□の資格を目指すんだから、△△なんかやっている場合じゃない」

学内外問わず、ほんのたまにですが、上記のようなことを言う若者に出会います。こういう考え方は正しいでしょうか?

考えるヒントをお話ししましょう。

介護施設で働く職員Aさんがいました。

ある利用者さんが中国の生まれであることを知ったAさんは、大学の第二外国語科目で習った中国語で、あいさつと簡単な自己紹介をしたのです。

その瞬間、その利用者さんの顔がパッと輝き、「ああ、中国語~!」「ハンユィ ジァン ダ ヘンハオ ア!(中国語お上手ね!)」。とても喜んでくれました。

それ以来、おしゃべりしたいことがあると「あの人を呼んで!」。Aさんをとても信頼し、何でも話してくれるようになったのです。

母語は誰にとってもアイデンティティの一部です。片言でも、挨拶だけでも、相手が自分の母語で親しく話しかけてくれれば、自分は尊重されていると感じ、心が通じ合うのです。

ちょっとした出来事ですが、Aさんも自分の存在意義を感じ、より積極的に仕事に取り組めるようになりました。

また、Bさんは、転職を経て、ある企業に就職しました。

数年が経過したときのこと。Bさんは上司から海外赴任を打診されます。

その企業は台湾にも関連の施設を構えており、Bさんはそこで働くことになったのです。

こんなとき、大学時代に学んだ中国語が、古い引き出しの中から復活するのです!

Bさんは、かつて使った教科書を取り出します。そこで、自分がすでに中国の「最初の一歩」を理解していることを再発見するのです。同時に、中国語の勉強法も思い出します。

ここが重要です。大学における第二外国語の意義は、じつはペラペラになることではありません(そもそも週1回90分の授業でそれは難しいです)。

そうではなく、勉強のやり方を学ぶことにあるのです。

Bさんは、職務上の必要性も中国語学習のモチベーションに加わり、そこからの進歩は目を見張るほど早いものとなりました。

これらは、大学の教養科目が「生きる力」に繋がった例と言えましょう。

私は基礎科目も担当しているので、中国語の例を挙げましたが、ある学問が役に立つか立たないかなんて、大学に在学しているわずか数年間では分かるはずがありません。

とくに、1~2年生のうちは、興味のある学問について、免許資格に関係があるか否かに関わらず、何でも積極的に学んでみましょう。「つまみ食い」、大いにおすすめします!

大学の魅力は、「知」の「異種格闘技」にあります。一見するとまったく関連ないような学問どうしが、意外なところでぶつかり合い、繋がり合い、新たな展開を生んでいくのです。

「自分の専門はこれだから、こんなの必要ない、あんなの必要ない」

大学におけるこのような減算的思考は、人生そのものを味気なくし、発展のチャンスをも摘む、とすら思うのです。

(登坂 学)

 

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上海ウォーターフロントの夜景

写真引用: King of Hearts 氏 / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)より

2020年日本の夏

8月23日付『日本経済新聞』歌壇に,横浜の森秀人さんの

「洗われて布マスクふたつ揺れている二〇二〇年日本の夏」

という作品が掲載されていました。コロナ禍,アベノマスクという現在の状況と,「キンチョウの夏」という昔のCMが頭をよぎり,メモしました。各紙にコロナを詠んだ詩歌が掲載されていますが,何十年か後には注釈が必要になるかもしれません。

8月,日本の夏と言えば,甲子園と,広島・長崎の平和記念式典,終戦の日など平和について考えさせられるものがあります。7月頃の新聞の片隅に「明子のピアノ」の復元の記事があり,後日岩波ブックレットに「明子のピアノ」(写真1)が発売されているのを知り注文しました

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そして,テレビの番組表でNHKBSプレミアムのドキュメンタリードラマ「Akiko’s Piano被爆したピアノが奏でる和音(おと)」が放送されるというので,録画して見ました。ドラマでは被爆直後に19歳で亡くなった河本明子さんの生涯を,残された日記をもとに再現し,彼女が愛していたピアノが復元され,演奏されるに至る経過を描いていました。ブックレットは彼女の生涯を前半に,後半は彼女のピアノが復元・演奏される過程を丁寧に描いております。その中で,復元された彼女のピアノを有名なマルタ・アルゲリッチやピーター・ゼルキンも弾いていること,さらに現代音楽の作曲家藤倉大さんが協奏曲を書き,アルゲリッチさんに献呈されることも記されています。

私はブックレットを読み,ドラマを見て意外な発見をしました。広島には広島交響楽団というオーケストラがあり,テレビで流れたピアノ協奏曲の演奏も広響でした。ブックレットには,この広響との関係で,シンフォニア・ヴァルソヴィアというポーランドのオーケストラの記述があります。寝ながら読書のつもりでいましたら,枕元に並べているベートーヴェン交響曲全集の中に『ユーディ・メニューイン指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア』(写真2)があるではありませんか。

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全集の帯には名ヴァイオリニストのメニューインが1984年に創設したオーケストラということです。これを購入したのは名ヴァイオリニストのメニューインがどんな指揮をするだろうかという興味くらいで,オーケストラの成り立ちまでは目が届きませんでした。添付の解説も読んでいませんでした。今回,広響とのつながりを知って聴き直し,読み直すと味わい深い演奏に聞こえます。特に第5番「運命」について,「実は私は,この交響曲の最初の数小節の,つくりもの的なぎょうぎょうしさが大嫌いでたまらないのです。(略)」というコメントもあり,逆にどんな風に演奏しているのか興味が湧きます。

新聞記事→本→テレビそして自分が所持していたCD全集とのつながり,というような体験をしていると,私たちが読んだり見たり経験していることは,実はどこかでつながっているのではないかと思います。ただ,必要なときに引き出しの奥に眠ったままで出てこないだけなのも知れません。今回のように,見事につながると,嬉しくて,とても得をしたようになります。

また,前職を退いた後最初に聴いた『英雄』が,今回登場した広響とHBGホールだったことも何かの縁なのだなぁと感じています。「新しい生活様式」ではなく,通常の生活が戻ってくることを祈念しながら。

 

                                                                                                                                                                                                                      臨床福祉学科 長友道彦でした。